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大阪地方裁判所 昭和42年(行ク)9号 決定

申立人 斎藤多門

相手方 茨木市長

主文

相手方が申立人に対して昭和三八年七月三一日付をもつてなした懲戒免職処分の効力は当庁昭和三九年(行ウ)第七二号懲戒免職処分取消請求事件の判決確定に至るまでこれを停止する。

申立費用は相手方の負担とする。

理由

第一申立人の主張

申立人は、主文第一項同旨の裁判を求め、要旨次のとおり主張した。

一  申立人は、昭和二五年二月から茨木市に勤務し、昭和三八年七月当時茨木市技術吏員の身分を有し、他方昭和二六年以来茨木市役所職員組合(以下単に「組合」とも略称)の執行委員、書記長、執行委員長等を歴任し、昭和三八年七月当時同組合の副執行委員長であると共に大阪府衛生都市連合職員組合(以下単に「衛都連」と略称)の書記長の地位にあつた者であり、相手方は、茨木市吏員に対する任免権者であるところ、相手方(当時の市長は坂井正男)は、昭和三八年七月三一日付を以て申立人を懲戒免職処分にしたが、申立人は右免職処分の取消を求めて訴訟を提起し、右事件は御庁昭和三九年(行ウ)第七二号事件として係属中である。

二  申立人には右免職処分の効力の停止を求めなければならない緊急の必要性がある。

本件処分当時申立人は衛都連書記長として組合専従をしていたので、衛都連から給与を受けていたが、昭和四〇年七月末日を以て書記長を辞任し、衛都連より給与を受けられないこととなつた。茨木市役所職員組合には専従役員の制度がないので、ほんらいなら茨木市役所の職場に復帰して茨木市から給与を支給される筈であるところ、本件免職処分により、茨木市よりも給与を得られない。

申立人は、茨木市より支給される給与を唯一の収入として生計を維持するほかないものである。申立人の家族は、母、妻、子供一人、妹の五人家族であるが、母は特に職を持たず、子供は満三才八箇月であり、妹は勤めに出て月額金二万三、〇〇〇円余の収入があるが、婚期前で自己のためその殆んどを費消する実情にある。妻はアルバイトにより平均月額約一万三、〇〇〇円位の収入があるが、これは申立人の給与のみでは十分でない家計を助けているのにすぎない。父は昭和四二年五月二七日死亡し、父所有名義の家屋に居住しているため家賃の負担がいらないというだけであつて、その他の資産による収入は全くない。右家屋は古いもので補修のため多額の出費を必要とし、またその家屋敷共父の残した金一〇〇万円の担保に供されている。かかる状況にある申立人がその生活上回復の困難な損害を蒙ることは多言を要しない。しかも本件処分後満四年を経過しているのに、本案訴訟の審理は相手方の多数申請した証人のうち、中野太一証人の取調がなされた(反対尋問未了)のにすぎない。このような状態では、本案訴訟の終了が何時のことか見とおしが立たず、かかる著しい訴訟遅延により申立人が蒙る損害は精神的にも物質的にも筆舌に尽くし難いところである。

もつとも、申立人は現在衛都連から救援金として月額六万二、一六〇円の給付を受けているが、組合費、健康保険掛金、退職積立金等を控除されるから、実際の手取は金五万八、〇〇〇円程で、現在の物価高のもとでは通常の生活水準を維持することは容易でないばかりか、右の救援金は将来本件免職処分が取消され給与回復措置がなされた場合には当然返還しなければならぬ金員であつて、謂わば借入金と同様である。

相手方は、右の救援金があることをとらえて執行停止を求める必要性がないなどと主張しているが、そもそも救援なるものは、当局の不当な処分による組合員の生活破壊を防止するため、労働者の階級的連帯の意識に基き、やむなくなされているのにすぎず、労働組合の本来の責任に属する行為でなく、できるだけ早く中止さるべきものなのである。いわば、組合が当局側の給与支給の肩代りをしているのであつて、自ら不当な処分をした相手方において救援があることを以て執行停止の必要性がないなどと主張できる筋合のものでないのである。

三  本件免職処分は違法であつて本案訴訟においては当然取消を免れないものである。

(一)  処分事由とされた事実の不存在ないしは重大な事実の誤認

(1) 相手方の主張する本件免職処分の理由は、(A)(相手方が昭和三八年七月三一日付の処分説明書において主張するもの)「昭和三八年六月二〇日午後七時頃茨木市役所本庁玄関前南側の地点に於て、多数を指揮し、暴言を吐き、暴力を奮つて給水業務を妨害した行為は、著しく職員の信用を傷つけ、職員の職全体の大いなる不名誉となるものであつて、この責任は洵に重旦大であつて、地方公務員法第三三条に違反するものである。よつて地方公務員法第二九条第一項第一号及び第三号の規定により懲戒処分する」(B)(相手方が本案訴訟において昭和四〇年二月一五日付準備書面第二項により追加主張しているもの)「更に同日午後一〇時頃断水地域で一部給水ができていない箇所があるので、茨木市消防署のタンク車を借り給水業務を行なわんとしていた中野太一水道事業所所長代理を消防署前にて暴力を以て妨害したもので、いずれも著しく職員の信用を傷つけ、市民の奉仕者として職務に専念しなければならないにも拘らずそれを怠り、職員の職全体の不名誉となる行為をなしたもので、地方公務員法第三三条に違反するものであるから、同法第二九条第一項第一号及び第三号の規定により本件処分をなしたものである」というのである。

(2) しかしながら、申立人は、相手方主張のように、暴力をふるつたり給水業務を妨害したことはない。僅かに同日午後六時半すぎ頃、市役所前において給水タンクを積んだトラツクに乗車している西野係長に対し、大声でその不当な態度を抗議し下車することを強く促したことおよび同日午後一〇時頃市役所前において中野水道事業所所長代理に対しその不当な態度を強く抗議し、その際突嗟の自然的行動として申立人の手が同人の胸あたりに二、三度ふれたことがあつたのにすぎない。事案の大要は次のとおりである。

(3) 茨木市は工業都市としての発展にともなつて近時急激に人口が増加し、それとともに水の需要も極度に増加したが、市の上水道設備は極めて貧弱なもので、大阪府営水道より送水を受けたり、安威川の表流水を応急用揚水ポンプで第三水源地に汲みあげて貯水量を増やしたりして急場をしのいでいたが、毎年渇水期になると水圧が低下し周辺の高台地区などはしばしば断水に悩まされていたところ、昭和三八年六月二〇日茨木市周辺部の中穂積、三島丘、上穂積一帯が断水状態となつた。これは府営水道よりの取入口の送水管にパツキングが詰つて送水量が減少したことや前記応急用揚水ポンプが数日前より故障していたこと、更には数日間降り続いた雨がやんで晴れ上り、一般家庭の水使用量が急増したこと、にもよるが、より根本的には、市当局が産業都市建設などと称して独占資本優遇の施策をとり続け、上水道の如き住民奉仕の行政を見忘れていたところに原因があつた。茨木市水道事業所には同日午前中から(一部の地域は前日の一九日昼間から)前記各地区の住民より断水に対する苦情ならびに各戸給水の要求が殺到したが、当時茨木市には応急用に使用できる給水タンク又はタンク車の備付がなかつたので、水道事業所中沢所長は中野所長代理に近隣の都市から給水タンクを借入れて各戸給水を実施するよう指示をなし、同所長代理は経理係長堀顕をして給水タンクの借入に当らせたが、同係長ら管理職の不手際のため借入は著しく遅延し、勤務時間外である午後五時五分過になつて漸く隣接の箕面市より借入れた給水タンクに満水しそれをトラツクに積んで茨木市役所玄関前に到着させることができた(以下このトラツクを単に「給水トラツク」又は「トラツク」と略称する)。

これより先中野所長代理は、給水タンクの借入が予想以上に手間どるので、やむなく午後二時四〇分頃相手方茨木市長(当時は坂井正男)を通じて隣接の茨木市消防署に対し消防用タンク車(以下これを単に「消防車」と略称する)の出動を求め、午後三時頃から給水係員塩山博之(組合の書記長)外五、六名をして右消防車によりまず三島丘方面の各戸給水を実施させた。しかしなにぶんにも広範囲にわたる断水であり職員の勤務時間である午後五時までに各戸給水を完了することは不可能な見とおしとなつた。ここにおいて水道事業所管理者大槻良衛は、事業所職員に対し業務命令を出して残余の給水をなさしめようと考え、午後四時三〇分頃前記塩山博之ら七名の事業所職員(いずれも組合員)に対し同日午後一〇時まで勤務し給水作業に従事すべき旨の業務命令を発した。

ところで、茨木市水道事業所とその職員との間には時間外労働に関する労働基準法第三六条による協定(以下単に「三六協定」と略称する)が締結されていない。従来茨木市においては、職員の超過勤務に関しては事前協議制なる制度が行なわれていた。その方法は各課の長が月末に来月に必要とする時間外労働を見積り市長室に提出し、その事業予定につき組合と協議して決定するというものであり、これにより職員の新規採用を抑えると共に(新規採用は財源上の問題があり困難であつた)不適正不必要な超過勤務を抑制することができ、双方の利益に合致して業務は円滑に行なわれていたが、坂井正男は市長就任後この制度を一方的に廃止し、しかも故意に三六協定の締結を拒否していたものである。そもそも水道事業なるものはその性質上職員の時間外勤務を必要とするものであるが、過去幾度となく断水の経験を持つ茨木市においては特にそうであり、そのような事態にそなえあらかじめ三六協定を締結しておくべきこと当然であるから、本件の場合は労働基準法第三三条第一項に定める「災害その他避けることのできない事由によつて臨時の必要がある場合」に該当しないし、水道事業所など地方公営企業の職員の勤務関係は私企業における労使関係に類し、同法同条第三項によつて律せらるべき関係ではないから、本件の業務命令は違法であり無効であつて、職員はこれに従う義務がなかつたものである。

しかしながら、組合は、公務員労働者として市民の窮状を打開し、市民に奉仕するという任務を貫徹すると共に当局側に業務命令拒否という組合弾圧の口実を与えぬため、組合自体の団体行動として、当日午後五時以後「自主給水」を行なうこととした。これは勤務時間外において組合が自主的主体的に給水を実施するが、水道事業所との相互了解のもとにその指示によつて行動することをいうのであり、もとより争議行為でもなく生産管理でもない。しかもこのような方法は、従前にも、時間外の給水、市営葬儀、清掃等において組合が実施したことがあるのであり、坂井市長以前の市当局はこれを承認し問題が生じたことはなかつたのであつて、先例慣行もある正当な組合活動なのである。

そこで組合は、同日市役所前で全員集会を開き、組合による自主給水をなすこと、給水実施の責任者は組合書記長であると共に給水作業に最も熟達した塩山博之とすること、組合から今一度事業所管理者に時間外給水についての三六協定に関する申入れをするので、塩山書記長以下事業所関係の組合員は戸伏にある第三水源地(以下「水源地」とも略称する)に行き、そこで待機して組合の示をまつこと、他の組合員全部は各職場で待機することが決定され、塩山書記長は事業所関係組合員約二〇名(業務命令対象者七名を含む)と共に午後六時前頃水源地へ赴いた。

一方、坂井市長、大槻水道事業所管理者、中野所長代理(兼業務課長)は、三六協定を結ばず業務命令を以て事業所職員に時間外勤務をさせること、もし職員が命令を拒否するならば管理職のみで給水することを打合わせ、中野所長代理はこの結果を中沢所長に告げたが、同所長は、三六協定なしでの業務命令はその効力に疑義があり、実質的にみても命令を以て給水させるのは適切でなく、組合側を説得して任意に給水させるのが最も妥当であると考え、中野所長代理を同道の上午後六時すぎ水源地に着いた。

そして水源地で中沢所長と塩山書記長との間で交渉が行なわれ、中沢所長は、「業務命令が出ているがその命令に従つて給水してくれとは云わない。市民が困つているのだから何とか給水してくれ」と言い、塩山書記長は、「当局側は組合からの三六協定の交渉の申入を拒否し、協定を結ばずに業務命令を出すのはけしからん。命令はもともと無効だ。しかし組合は組合として、市民に迷惑をかけないために、何とかしなければならないと考え、待機しているのだ」と言い、論議していたところ、市長より中沢所長へ電話がかかり、「市役所前の給水トラツクがまだ出ていない。早く帰つて出せ」と強圧的に命じてきたので、中沢所長は給水に出発してくれなければ困ると訴えた。そこへまた副委員長たる申立人より塩山書記長へ電話がかかり、「組合でやつた交渉申入は不調になつた。そちらへ中沢所長が行つているから、組合側で給水に行くよう話をして出発してくれ」と連絡指示があつた。そこで塩山は中沢に組合の連絡指示を伝え、「三六協定が結ばれていないから、業務命令に従つて給水に行くのではない。しかし組合として給水に行く。その全責任者として私が行くことになつたから、所長も私にまかせてもらいたい」と述べたところ、同所長は申出を承諾し、「君にまかすからひとつ頼む。しかし出発を見届けて帰りたいから、出発してくれ」と述べた。塩山はすぐ申立人に中沢所長と話がついたことを電話連絡した上、中沢に給水地域の指示を求め、その指示により総持寺府営住宅へ給水に行くことにし、その準備(作業服に着換える等)のため、塩山ら数名の組合員は消防車に乗車して市役所へ一旦戻ることにし、他の組合員は交代要員として水源地に待機した。その組合員には業務命令対象者以外の者もおり、これは組合が自主的に配置したものである。

ところで、消防車は午後六時半すぎ頃市役所へ着き、組合員は消防車と給水トラツクにより給水作業を開始すべく作業服に着換えるなどの準備をなし、一方組合は全員集会を再開していよいよ組合による自主給水を始めることの報告をしていた。その矢先、事業所管理職員である堀経理係長、堀尾業務係長および西野浄水係長は、中沢所長より給水に行くようにとの指示を受けるや、業務命令書不交付の経緯、組合側の態度等を聞きもせず聞こうともせず、自分等管理職だけで給水作業を行なおうとして、突如トラツクに飛びのつたのである。堀、堀尾係長は事務系係長であり、西野係長は一週間位前に係長として来たばかりで、同人らのみでは到底給水作業を行ない得なかつたのに、敢て給水トラツクに乗車したのである。

中沢所長は前記のとおり組合の自主給水に了解を与えたが、一面前記のとおり坂井市長より強圧的な電話を受けていて、管理職をも給水に参加させなければその責任を追及されるおそれがあるので、一応管理職も給水したという形をとろうと考え、また従前の労使慣行(坂井市長以前)として、組合の給水活動に管理職を援助参加させたことがあつたことからして、事前に組合の了承を得ることなく、市役所に帰りつくや直ちに係長等に給水を指示したものである。また堀係長らはこれにより先坂井市長より中沢所長に対する前記の強圧的な電話をそばで聞いていたし、また同市長より、所長が帰つてきたらその指示ですぐ給水に行くようにと命じられていたので、所長より右の指示を受けるや、この機に市長への功名を立てんとして、直ちに運転手もいないトラツクに乗りこんだものである。

これを見た組合員らは、組合による自主給水につきすでに相互予解がなされているのに拘らず、その直後にこれを破棄し正当な組合活動を妨害するとして、その背信的行動をきびしく非難し、抗議したところ、堀、堀尾係長は自らすすんで下車したが、西野係長は挑戦的な態度に出て下車することを拒否する気構を示した。そこで申立人は、組合の副執行委員長としての責任ある立場から、大声で同係長の態度を抗議し、なおも平然として坐りつづける同人に下車することを強く促したのである。もれにも拘らず同人が降りないので、その場にいた組合員のうち二、三人が同人の手をとり強くおりるよう促し、結局下車させたのである。

相手方の主張するA事実とは右の事実を指すものにほかならない。

組合は、組合の責任において給水作業をしていることを市民に明らかにするため、消防車と給水トラツクのフエンダー等に数本の組合の小旗を掲げ、いずれも組合員数名が乗車し、他の組合員全員の拍手に送られて作業に出発した。出発後、中沢所長はもとよりいずれの係長も組合の給水作業に異議を云わず、事業所で給水の連絡に当つた。

塩山書記長らは、前述の水源地における中沢所長の指示のほか、その後における水源地の北川係長、事業所の他の係長からの給水地域の指示連絡に基き、消防車および給水トラツクにより、水源地と給水地域の間を約三回往復し、総持寺府営住宅、中穂積公団住宅等に給水し、当初予定されていた地域の給水を一応終了した。

右作業終了も間近い頃、新たに下穂積の一部に給水希望があつた旨水源地の北川係長より連絡を受けたが、すでに午後一〇時も間近い頃であつたので、中穂積で消防車と給水トラツクが集結し、塩山書記長を中心にして協議した結果、予定の地域の給水を一応終了したこと、午後一〇時以後は労働基準法第三七条の深夜作業となること、従来の時間外給水の場合は事業所から食事を出す慣例であつたのに今回は再三その申入をしているのに出さないこと、業務命令の内容さえ午後一〇時までとなつていることなどから、一応爾後の給水の準備をした上事業所へ引揚げ、一旦休憩し、中沢所長と爾後の給水について協議をすることと決定し、その旨を塩山書記長より電話で組合事務所に待機中の小矢田執行委員長に報告し、北川係長にもその旨連絡した上、消防車は水源地で満水にして直接事業所へ帰り、給水トラツクは余りの水でさらに中穂積地区を給水した上事業所へ帰着したのである。

午後一〇時過頃小矢田委員長は水道事業所に赴き中沢所長に対し食事も出さないことを抗議したところ、所長は、食事の準備をしなかつたことはすまなかつたけれども、もう少し残つているので給水してほしいと述べた。これに対し小矢田は「一ぺん、塩山書記長と相談してくる」と答えて事業所を出た。この頃塩山書記長は下穂積地区の給水はその需要量から考えて消防車のみで行えばよく(この判断の正しかつたことは後に右地区へ給水に行なつた時すでに水道から水が出ている状態であつたことから明らかである)、給水トラツクには少ししか水が残つておらず、さびては明日の作業に差支えるし、またトラツクにタンクを積んだだけの応急車で給水には消防車の方が安定性があると考え、トラツクの方のタンクの水を放水した。しかるに、中沢所長は小矢田からの返事がなく、堀係長からタンクの水が放水されているとの報告を聞き、組合はもう給水作業をやめたものと即断し、直ちに中野所長代理、堀、堀尾、西野、今井(給水係長)の各係長に対し、管理職だけで給水に行くよう指示をし、消防署へ消防車を借りに赴いた。塩山書記長は中沢所長に会うため事業所に行つたが、所長が居なかつた(消防署へ出かけたすぐ後)ので、そこにいた中野所長代理に対し、これからの給水のことについて所長と話合いたいから、連絡をとつてほしい旨依頼した。そのすぐ後である午後一〇時二〇分頃、塩山書記長は堀、堀尾係長が消防車に乗車して給水に出発しようとしているのを認めるや、従前の了解による自主給水を破壊しまた給水継続について話合を求めている矢先に組合の意向を無視するものであるとして憤慨し、大声で同車の運行を制止して係長らを下車させると共に組合員にも急報し、ついで消防署車庫前に降りてきた中沢所長を認め、「今日の給水をまかすといつておきながら、今になつて一方的に管理職だけで給水に行こうとするのは話が違うではないか」などとその不信義な行為を強く批判し抗議したところ、これを見ていた中野所長代理は、事態がさまで切迫しておらないのに警察官を導入しようとし、近くの消防署の起番室の方へむかつて、右手を高くあげ電話をかけるしぐさをし、以て警察署へ連絡することを依頼した。そこで申立人は中野に対し、「なんということをするのか。お前が悪いのだ」と言つて強く抗議したところ、同人は、「なにが悪いのか」と言つて応待しつつも申立人の勢に押されて後退したが、その際相手に対して強く抗議する突嗟の自然的行動として、申立人の手が中野の胸あたりに二、三度ふれたのである。

相手方の主張するBの事実は申立人の右の行為を指すのである。

なおその後組合員らは中沢所長の謝罪をきき、午後一一時頃塩山書記長の指示により消防車で下穂積地区への給水に赴き、当日の給水作業はすべて完了された。

(4) 事実関係は以上の如くであつて、申立人は組合の幹部として、組合の正当な活動を妨害しようとした西野係長の不当な行動に抗議し、また不当に警察官を導入しようとした中野所長代理の行動を制止したにとどまるのである。右の程度の如き申立人の行為は社会的常識に照らしても法的評価においても暴行といい得べきものでなく、組合活動上当然に許容さるべき行為であり、地方公務員法に定める信用失墜行為にも公務員としてふさわしくない非行にも該当しない。

よつて本件免職処分は、処分事由が存在しないのにこれありとしたか、少くとも事実を誤認ないし歪曲したものであつて、違法たるを免れない。

(二)  不当労働行為

(1) 仮に右主張が理由がないとしても、相手方は申立人および組合の活動を抑圧する目的を以て、きわめて些細な行為をとらえ、組合の最も指導的な幹部である申立人を免職したものであつて、不当労働行為である。

本件処分の直前に組合は臨時大会を開き、人事院勧告の完全実施、定期昇給実施、組合員に対する不当処分撤回等の要求を掲げ、やむを得ない場合には一〇割休暇斗争を以て斗う旨の決定をし、斗争態勢を強化しつつあつたところ、本件免職処分が行なわれたものである。

(2) なお本件処分が不当労働行為意思を以て行なわれたことは左の諸事実によつても明らかである。

(イ) 本件免職処分をした当時の相手方市長である坂井正男は、昭和三八年一月の茨木市長選挙に海軍在郷軍人会「黒汐会」の支持を受けて立候補し、選挙公約として、「市職員の綱紀を粛正し、市民へのサービスを第一とする公僕精神を徹底する」「職員中一部過激分子の破壊活動を排除し、正常にして明朗な組合運動を育成する」旨公約し、「赤字をつくる赤追放」というスローガンを掲げて赤字財政の原因があたかも組合によるかの如きデマ宣伝を流し、街頭演説においても「一匹の土佐犬が三〇匹の赤犬をかみ殺す」とまで述べ(高知の出身者である坂井正男が市長に就任して三〇人の組合幹部に弾圧を加える意)、しかも市長就任後現実に一〇数名の組合幹部に対する懲戒処分を強行した。

(ロ) 市長就任後直ちに課長、係長に対し組合を脱退することを訓示によつて強要し現実に脱退せしめた。

(ハ) 従前茨木市において情実人事を避けるため理事者側三名組合側二名に以て構成する職員採用委員会なる諮問機関が設けられていたが、坂井市長はこれを一方的に廃止した。

(ニ) 就任以来一貫して組合との団体交渉を拒否した。

(ホ) 昭和三八年茨木市条例に定められた定期昇給を実施せず、昭和三七年および三八年の人事院勧告を実施せず、且つ昭和三八年以来夏、冬および年度末の一時金につき従前支給されていたプラス・アルフアを支給しなかつた。

(ヘ) 地方自治行政に全く未経験の者七名を幹部職員として外部より採用し、労務管理、組合弾圧の任務を与えた。七名中今井明を水道事業所の給水係長、西野隆則を浄水係長に送りこんだが、同人等は水道技術について全くの素人であつた。

(ト) 茨木市役所職員組合は昭和二三年に結成されて以来唯一の労働組合であつたが、昭和三八年八月突如分裂して第二組合が生まれ、同年一二月には第三組合、続いて第四組合がそれぞれ第一組合より分裂したが、坂井市長はこの分裂を促進させ第一組合を破壊する目的で第一組合員に露骨な差別待遇をした。即ち昭和三八年度は前記のとおり定期昇給をストツプしたが、一方職員の約二割につき特別昇給を行ない、その圧倒的多数を第二組合(当時は第三組合以下は未だ結成されていなかつた)所属の組合員に該当せしめ、また一時金支給や勤勉手当支給についても第一組合所属の職員とその余の職員との間に差別をした。また第一組合員には時間内組合活動等を理由として厳しい処分をしたが、第二組合員に対しては勤務時間中の職場放棄(酒を飲んでの魚とり、相撲見物の券配りなど)を全く不問に付するなどの差別待遇をした。

(3) よつて本件免職処分は地方公務員法第五六条に違反する違法がある。

(三)  懲戒権の濫用

仮に右主張も理由がないとしても、本件の処分事由とされている申立人の行為は、些細軽微なものであると共に勤務時間外における行為であり、市民への奉仕を目的とする組合活動に関連して発生し、市民に対する給水には特段の支障を与えていないのである。しかるに相手方は、懲戒処分にも種々の段階があるのにいきなり職員にとつては極刑とも称すべき免職処分を以て臨んだのであつて、あまりにも苛酷であり、処分の妥当と公正を欠いている。まして申立人の本件行為を誘発ないし挑発した原因は当局の不当な組合抑圧の態度にあるのであるから、本件処分は自らの非をかえりみずして申立人のみを非難するに急なものであると謂うべく、信義誠実の原則にも違反する。

よつて本件免職処分は著るしく裁量の範囲を逸脱し、懲戒権を乱用した違法がある。

以上、処分事由とされた事実の不存在、不当労働行為、懲戒権の乱用、いずれの理由によつても本件免職処分は重大な瑕疵を有し違法であり、本案訴訟において取消を免れないところである。

四  本件執行停止の申立が認容されることにより公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞れは全くない。

行政事件訴訟法第二五条第三項の規定は、行政権力の一般国民に対する行使を想定し、このような行政作用について特に安定性を保持する必要性がある場合を規律しているのであつて、本件の如く行政当局と公務員との間の内部的労働関係にかかわり、当事者性の原理が支配する行政処分については、右規定は適用がないものと解すべきである。しかも茨木市の行政事務は一定の機構に基き現在約七〇〇人にものぼる多数の職員を配置して管理運営されているのであり、申立人一人が免職処分の効力を停止され職場に復帰したからといつて、行政事務が阻害され住民の福祉に影響があるというようなことは到底あり得ないところである。

よつて申立どおりの裁判を求める。

第二相手方の主張

相手方は、「本件申立を却下する。申立費用は申立人の負担とする」旨の裁判を求め、要旨次のとおり主張した。

一  申立人の主張一の事実はこれを認める。

二  申立人には回復すべかざる損害を避けるための緊急の必要性が存在しない。

(一)  申立人は本件処分後の昭和三八年八月頃守口市の職員となり、職務に専念する義務を免除されて組合専従者となり、衛都連から給与を支給されていたものである。そうであるから、もし申立人主張の如くにその後衛都連書記長を辞任したのであれば、辞任後は当然守口市から給与を受け得られる筈である。従つて申立人が生活に困窮しているとはいえない。

(二)  申立人は十分な資産および収入を有している。即ち、申立人は父の遺産として延八一坪三合にも及ぶ邸宅とその敷地一三四坪、時価にして金六七〇万円相当のものを有し、ほかに山林一畝一九歩、時価にして金五三万九、〇〇〇円相当のものを有している。右邸宅は広大であるから、間貸によつて相当な収入を得ることも可能である。右邸宅および敷地は、かつて担保に入つていたが、現在においては債権者はその債権をすべて放棄しており、担保権の負担はない。申立人の父は生前教員をし、晩年には茨木市会議員も一期つとめた人で、生前年額金一一万二、四五七円の普通恩給を支給されていたが、死後は申立人の母がその半額を受けており、またその母は住友生命保険相互会社茨木支部に外交員として勤務し、月々収入を得ている。更に申立人の父は生前に退職金の一部である金一〇〇万円を第三者に貸付けて利息収入を得ていたもので、その貸金債権は申立人ら相続人に移転しその財産となつている。

(三)  申立人は前記のように守口市職員たる身分を有するところから健康保険に加入し、医療給付、家族療養附加金、傷病手当金等健康保険上のすべての特典を享受しており、疾病にかかつた場合に医療費の懸念がない。また公務員共済組合に加入しているから、共済組合員としての特典をすべて享受しうるわけであつて、生活資金の借入も可能であるし、守口市の職員を退職するという方法をとれば、所定の年金(申立人の給与額から算出すると一箇年金二四万八、五七一円である)の支給も受けることができる。更に申立人は現在も社団法人大阪府市町村職員互助会の会員であるが、申立人が希望すれば生業資金として金七〇万円余(在会年数一五年とみて一日約二、〇〇〇円の割合で三五〇日分)の給付を受けることができ、その他生活資金として金二〇万円程度の借入が可能である。

(四)  申立人は昭和三八年八月一日以降(申立人のいわゆる衛都連書記長辞任後)衛都連規約第二八条にいう「組合活動犠牲者」として、衛都連救援規程による救援の対象者となり、今日においても引き続き救援金の支給を受けているのである。

右救援金は決して任意的、裁量的、恩恵的な性格を持つものでなく、組合員がこれを要求することは権利として確立されたものである。このことは救援規約、救援規程、同施行細則の文言から明らかであるばかりでなく、救援なる制度の目的が組合の団結を強化することにあることおよびその資金が各組合員の出捐(一人あたり年一、〇〇〇円)によりまかなわれていること(裁量により救援金の支給が拒否されるとすれば組合員の期待に反する)に照しても当然といわなければならない。そうとすればこの救援金を一般の借金と同様にみることは誤りである。もつとも本案において勝訴し給与回復措置がなされた場合その救援額を限度として返還しなければならないが、本案において敗訴した場合はすでに支給された金員を返済することを要しないのみならず、更に退職見舞金として、本人が解職時において当局から支給される普通退職金の倍額に金五〇万円を加えた金額が支給され、また退職一時金の名義で、免職または解雇処分が発令された時に金五万円を支給されるのである。従つて単純に債務を負担した場合と同一視することはできない。

しかも衛都連の一九六六年度の特別会計収入支出決算書によれば、救援資金の当初予算額は金三、四一五万三四〇円、支出済額は金九六〇万八、三二二円、予算残額金二、四五四万二、〇二四円であり、救援資金のうち救援金は、当初予算額二、四〇〇万円、支出済額金九四一万九、八二二円、予算残額金一、四五八万一七八円である。さらに一九六七年会計予算案によると、予算総額金九、九七〇万七、六七四円のうち、救援資金は金三、六六二万九、八五六円、そのうち救援金は前年度同様二、四〇〇万円とされており、資金にも十分余裕のあることが認められる。しかも申立人は昭和二六年以来茨木市役所職員組合および衛都連の要職を歴任してきた組合活動家であり、この者に対し救援がうちきられるようなことは到底考えられない。

これを要するに、申立人は自らその権利を放棄しない限り、今後も本案判決の確定に至るまで確実に救援金の支給を受ける権利を有するのであり、生活に困窮することはない。

仮に救援がうちきられた場合においても、申立人は大阪府農業改良普及員および家蓄人工授精師の特技を持つているから、他に職を求めることが可能であり、また衛都連による就職の斡旋を受けることもできる筈である。

以上のべたとおり、申立人には回復すべからざる損害を避けるための緊急の必要性が全く存在しない。

三  本案に理由がない。

(一)  およそ現に一の地方公共団体の常勤職員として一般職の地方公務員たる身分を有する者が重ねて他の地方公共団体において一般職たる地方公務員たる身分を取得することは法律上不能に属するところ、前記のように申立人は現に守口市職員としての身分を有するものであるから、茨木市職員としての身分を回復せんとする本案の訴は法の認めるところではない。よつて申立人が提起している本案の訴は訴の利益を欠くものとして否定されることを免れない。

(二)  本件免職処分をするに当つて何ら事実の誤認はない。

(1) 本件免職処分は申立人の左の行為を処分事由とするものである。

申立人は、茨木市役所職員組合の副委員長であつたが、自ら首謀者となつて昭和三八年六月二〇日市内の一部に発生した断水地域への給水を市当局の管理を排除して組合の名において実行しようと企図し、

(A) 当日午後六時五〇分頃茨木市水道事業所所長中沢一夫の命令により同事業所の業務として給水に赴こうとして茨木市本庁玄関前にあつた給水トラツク(馬場運転手操縦)に乗車し出発しようとしていた西野隆則、堀顕、堀尾清治の三名に対し、トラツクに駆けよるや否や「管理職降ろせ」などと数一〇名の組合員とともに怒号しつつ、まず堀、堀尾、馬場の三名を下車せしめ、続いて助手席に座つていた西野の左腕を数回ひつぱり抵抗する同人を引き摺り降ろして暴行を加え、同人らの代りに樽岡菊松運転手ならびに数名の組合員を乗車させ、数本の組合旗(赤旗)を右トラツクに掲げさせて出発させ、もつて茨木市水道事業所の給水業務を妨害し、

(B) 更に同日午後一〇時二〇分頃前同様中沢所長の命令により水道事業所の業務として給水に赴こうとして茨木市消防署のガレーヂの前にあつた消防車に乗りこもうとする水道事業所所長代理中野太一に対し、「中野のがき、お前がいかんのや」など怒鳴りながら、数一〇名の組合員とともに駆け寄り、やにわに中野の背後から手で同人の首筋を強く突き、よろめく同人に対し更に四、五回にわたり突きはなすなどの暴行を加え、その結果中野をして口唇に裂傷を負わしめ、更に水道事業所へ来いと言つて中野らを連れて事業所事務室へ引き揚げ、もつて茨木市水道事業所の業務を妨害したものである。

右行為は地方公務員という職の信用を傷つけ職員全体の不名誉となると共に全体の奉仕者たるにふさわしくない非行に該当するので、地方公務員法第三三条、第二九条第一項第一号第三号により懲戒処分として免職処分をしたものである。

(2) 申立人は当日組合が給水作業をするに至つた経緯等につき詳細主張し、その前提のもとに申立人の行為は組合活動上当然に許容さるべき正当な行為である旨述べているが、その主張には多くの誤りがある。

(3) 時間外給水作業についての当局の業務命令は適法なものであつた。

茨木市において過去幾回となく断水状態が発生したこと、同市の上水道施設が十分でなかつたことは申立人主張のとおりであるが、同市としては田村市長時代における赤字財政の累積(その主たる原因は後に述べるように組合の過当な賃上げおよび人員増加要求である)により設備投資が意の如くならなかつたのであり、昭和三八年六月当時においては根本的に断水を防止することは通常期待できない状況にあつた。なお茨木市当局が独占資本優遇のため上水道設備の整備を怠つた事実はなく、苦しい財政の中にあつてもその整備拡充に努力をかたむけていたのであつて、坂井市長は昭和三八年および昭和三九年に合計約三億円の資金を投入して春日丘水源地の築造その他各種工事を完成し、その後をついだ大槻現市長は更に六億三千万円の資金を投入し完全に近い上水道施設を完成させた。そのため昭和三九年より一件も断水事故が発生しなくなつたのである。

しかのみならず、六月二〇日当日の断水に限つてこれをみると、上水道設備の不十分であつたことがその原因であると言えないのである。当時安威川の水位は何ら低下しておらなかつたから、仮に数日間降り続いた雨がやんで晴れ上り一般家庭の水使用量が増加したとしても、直ちに断水を生じることはなかつたのであるが、折悪しく安威川の水を第三水源地貯水地に汲み上げる揚水ポンプが同月一七日午後二時より故障し、二〇日午後八時頃まで運転が不能であつたのみならず、申立人ら組合幹部の教唆、強要により、同月一九日および二〇日において第三水源地の送水ポンプの運転担当者がその送水ポンプのフル回転を故意に行なわず、いわゆる安全運転を行なつて穂積配水地への送水を妨げたのである。当時の上水道施設を概説すると、茨木市には第一、第二、第三、春日丘の四つの水源地があつたが、第三水源地の送水量は全体の約六〇パーセントを占め、第三水源地には、受水地(府営水道よりの水を受け入れる)、貯水地、深井戸(水中汲上ポンプにより水を汲上)、人工地(安威川の表流水を揚水ポンプにより汲上)、集中埋管(安威川およびその周辺の伏流水即ち湧水を導入)の諸設備があり、受入地の水は五〇馬力の送水ポンプ二台によつて市内各地へ送られ、人工池の水および深井戸の水は集中埋管を通つて(この際伏流水も管内に導入される)貯水地に送りこまれる。そして貯水地の水は送水ポンプ(一〇〇馬力一台、五〇馬力二台)によつて汲上げられて水圧が加えられ、市内直送管を経て各戸に給水されるものと穂積配水地(高台に所在)へ一旦汲上げられた上市内各地区へ送水されるものとに分れる。そこで、水量が減少しあるいは水圧が低下して穂積配水地の水位が低くなつた時は、貯水地の送水ポンプをフル回転して貯水地の水を急速度に汲上げ、水量と水圧を高め、右配水地への送水を行ない、市高台地区への給水を維持することができる。それ故、夏場の水使用量の増加時に際しては、安威川表流水の揚水ポンプの稼動、前記送水ポンプのフル回転および府営水道よりの受水量を増加させることにより減断水の危機に対処していたのである。もつとも安威川の水が涸れてその水位が極度に低下するときは伏流水の導入が減少するのでポンプの運転にも制限が加えられるのであるが、本件の場合安威川の水量は平常と変りなく伏流水の水量もさして減少していなかつたから、ポンプのフル回転は可能であつたのであり、これにより貯水地の水を十分補充し配水地へ送水することができたのである。右両日に安全運転が実行されたことは次の事実によつても裏づけられる。揚水ポンプは二〇日午後八時頃に復旧したが、二一日午前七時頃より二二日午前一一時頃まで府営水道の二階堂受水口に直経約二〇糎の皮がつまり(このようなことは通常では考えられないことなのであるが)、府営水道よりの受水が激減し、このため翌二一日、二二日にも断水が発生したのであるが、各戸給水は二一日午前一〇時より午前一一時まで、二二日午前一一時より正午までの小規模のもので済んだ。府営水道よりの送水の激減というような事態が生じてもなお右両日における給水が小規模のもので済んだのは、右両日においては右送水ポンプのフル回転を行なつたが故にほかならない。一九日および二〇日両日における運転担当者の不作為については、当日中沢所長は給水対策、市会への報告、揚水用ポンプのモーターの修理、その代替品の獲得等のため東奔西走しており、且つ送水ポンプのフル回転のようなことは従前運転担当者が当然にとつていた措置であつた関係上、遂に発見し得なかつたと言うほかない。これを要するに、六月二〇日当日の断水の積極的な原因は、揚水ポンプの故障と送水ポンプの故意の安全運転によるものというべきであつて、いずれも管理者側の予期することのできないものであつた。また当日給水タンクの借入が遅延したのも組合員の工作に起因する。即ち、中沢所長は当日出勤すると同時に吹田市の水道部長に電話してタンクの借入につき了解を得ておいた(茨木市にも以前から給水タンク一台があつたが、当時道祖本簡易水道で使用していて本件給水に使えなかつた)のであるが、堀経理係長が市施設課のトラツクを配車してもらい、午前一〇時二〇分頃吹田市役所へ到着し、タンク借用の手続を終え、同市の職員に案内されて午前一一時頃タンクが置かれていた金田浄水場へ赴いたところ、タンクの蛇口が故障しているからなどという理由でにわかに借入を拒絶された。堀係長はその程度の故障なら当方で修理するからと貸与を懇願したが、結局貸してもらえなかつたのであるが、これは堀係長が吹田市へ向つた時間と相前後して申立人ら組合幹部から吹田市の組合に対しタンクの貸出をなんとか断つてくれるよう依頼があつたためであることが後日判明した。堀係長はやむなく一旦市に戻り、中野所長代理の指示に従い箕面市から借入れることにし、午後二時頃箕面市役所へ到着し、二時一〇分頃箕面浄水場のタンク置場へ行き、チエンブロツクで積込作業を始めた(最近知り得た事実によると、箕面市に対しても申立人等組合幹部から妨害工作がなされていたが箕面市はその申出を拒絶してくれていたのである)が、作業員が積極的に動かないので、一時間以上を経過し、作業員達は人数が少ないから応援を頼めと要求するので、堀係長はやむなく電話で作業員の増派を依頼し、承諾を得た旨を作業員に伝えたところ、にわかに作業が順調に進み出し、増派作業員の到着をまつまでもなく午後三時五〇分頃終了し、四時二〇分頃茨木市役所前に帰りつくことができたのである。

以上のように、当局者の予見し得なかつた事態が次々と発生したため本件の断水が発生し、各戸給水が勤務時間外にわたらざるを得ないことになつたのであつて、本件の場合はまさに労働基準法第三三条第一項の「災害その他避けることのできない事由によつて臨時の必要がある場合」に該当し、本件の業務命令は適法であつた。よつて違法な業務命令に対抗する目的を以て自主給水を実施したというような申立人の主張は当らない。

また当局が三六協定の締結を拒否した事実はなく、組合側も三六協定の締結を求めた事実もない。組合側が求めていたものは三六協定の締結でなくして事前協議制の復活であり、この事前協議制はそもそも違法なものであつた。即ち昭和三四年頃組合は、超過勤務をすると否とは組合が自由に決定するところであるとの建前のもとに、大体一箇月毎に市当局より超勤を希望する職場と超勤時間を提出させ、これを独自の判断に基いて審査し、超勤をするか否かまた何時間超勤するかを協議し決定するが、協議に応じるか否かは自由であるのみならず協議決定しても超勤を拒否することは組合の自由であることにし、これを事前協議制と称し、これを当局に受諾せしめた(右のような趣旨の制度であつたから、組合は要求貫徹の要あるときは事前協議そのものに応ぜず、協議決定があつてもこれを一方的に破棄して、超過勤務拒否斗争なるものを度々行なつた)が、かかる制度は労働基準法第三三条第三項が一般公務員(非現業職員)に対し三六協定の例外を認めている趣旨に反するし、大阪府下の衛生都市でかかる制度を採用している市はなかつたから、坂井市長はこれを廃止したのであり、この行為はもとより正当である。昭和三八年六月一日以降水道課が水道事業所となり地方公営企業法の全面的適用を受けることになり、三六協定を締結しておくことが必要とされるに至り、事業所側は三六協定の締結に積極的であつたが、組合は水道事業所関係職員についてのみ三六協定を締結すると一般職員と不均衡になるものとして、六月一日以降二〇日まで何ら同協定締結の申入をしなかつた。従つて当局が三六協定の締結を拒否しつつ敢て業務命令を出したという申立人の主張も失当である。

(4) 中沢水道事業所所長が組合のいわゆる自主給水について了解を与えた事実はなく、その自主給水は正当な組合活動ではない。

当局は断水という緊急事態のもとにおいて業務命令により給水業務を遂行しようとし、同日午後六時すぎ塩山博之らに対して業務命令書を交付すべく中沢所長および中野所長代理を第三水源地に赴かせた。もつとも中沢所長は田村市長のもとで水道課長をしていた当時超勤拒否斗争が行なわれている状態で断水が発生した時組合を説得して超勤拒否斗争の一部を解除させた経験を有していたところから、組合に任意給水業務に就かせようとし、塩山博之に対し、市民は夕食の仕度等で一番水が必要な時だから、業務命令書によつて強制しないが、過去の断水の時のように超勤拒否を一時解いて給水に行つてくれるよう要請したところ、塩山は超勤拒否斗争を以て斗つている組合の要求あるいは水道事業所の新らしい管理職に対する組合の要求が貫徹されるまでは給水に行かない旨強硬に主張し、約二〇分間にわたつて押問答を繰り返したが、その頃坂井市長より中沢所長にあてて電話がかかり、市役所玄関前にある給水トラツクならびに第三水源地にある消防車を早く出勤させるよう指示をしてきた。ここにおいて中沢所長は、組合との話合によつて給水を行なうことを断念し、管理職員と消防署員(消防車には消防署職員である運転手外一名が乗車していた)のみを以て給水することを決意し、消防署員に対し、ただちにこのまま給水に出発してくれるよう指示したところ、塩山は中沢所長の強硬な態度に驚き、それでは組合の自主給水ができなくなるところから、「そこまで云わんでもよいやないか。今日だけは課長(中沢所長のこと)の顔を立てて給水しよう」と言い、中沢所長の説得に応じて所長指揮のもとに給水にあたることを了解したかの如く装つたのである。中沢所長はこの塩山の言動から自己の指揮のもとに給水に当つてくれるものと信じ、給水に関する具体的指示をした上、市役所へ帰ることとしたものである。

そもそも組合がその自主給水なるものを実行した動機は、三六協定の締結の問題や業務命令の有効無効の問題と関係がない。即ち組合は、同年五月二五日夏季手当一・八箇月分プラス金一万一、〇〇〇円の支給を主する内容とする要求(三六協定の締結は含まれていない)を掲げ、市当局と五回にわたり団体交渉を重ねてきた(市当局が団体交渉を拒否したことは全くない)のであるが、その要求が容れられないとみるや、同年六月八日超過勤務拒否の斗争を指令し、なおも当局に圧力を加えようとし、申立人等組合幹部は、前記のように送水ポンプの安全運転の教唆、タンク借入妨害工作等により、各戸給水が勤務時間外にわたらざるを得ないように作為しておいた上、組合の名において給水を実施して市当局に対する住民の不満を挑発し、ひいては組合の市に対する要求を貫徹しようと図つたのである。そして管理職員によつて給水せられては自らの意図が瓦解するところから、暴力を以て管理職員を給水業務から排除し、市の飲料水、施設等の所有権、管理権を占拠し、職員を組合の支配下におき、給水車に組合旗を掲げ、宣伝カーを以て「市が給水しないので組合が給水する」などと宣伝し、組合の名において給水を実施し、業務の正常な運営を妨げたのである。かかる行為が正当な組合活動を以て目せらるべきものでないことは勿論であつて、むしろ生産管理的争議行為であり、地方公務員法第三七条第一項に違反すること明白である。

(5) 西野係長らおよび中野所長代理の行為に何ら不当の点はない。

前記のとおり中沢所長は自己の指揮のもとに給水を行なつてくれるものと信じて市役所へ戻り、玄関前にあつた給水トラツクを出動させるべく、附近に居合わせた堀、堀尾、西野の三係長に対しトラツクに乗車して給水に行くよう指示をし、且つかねて手配をしていた馬場運転手を乗車させたので、同係長等はその指示に従い給水作業に赴く目的を以てトラツクに乗車したのである。申立人は給水作業をする能力のない者ばかりが組合の自主給水を妨げる目的を以て乗車したと主張するが、元来給水作業というのは特別の技術を必要としないものであるばかりか、堀、堀尾係長自身過去において本件断水地域へ五、六回も給水に行つたことがあるのであつて、右三名の係長と馬場運転手を以て給水は十分実施できたのである。にもかかわらず同人等は申立人ら組合員より前記のような暴行を受け、その業務を妨害せられたのである。

ここにおいて中沢所長ははじめて組合が勝手に各戸給水を強行しようとしていることを知つたが、組合の暴力的気勢と給水作業自体の緊急性のため、その時点においてそれを阻止することを断念したのである。

このようにして同日午後七時頃から組合の自主給水が実行されたが、この間事業所としては呆然事の成行を見守るほかはなかつた。事業所が管理職のみの力によつて業務の管理権を回復しようとしても組合が多数の威力を以て対抗してくること明らかで不祥事件の発生も予想されたし、管理権回復のために時間を徒過し市民に迷惑をかけることはできなかつたので、彼我衡量の上心ならずも事態の推移を見守つていたものである。

ところで午後一〇時二〇分頃給水作業に行つていた組合員が組合事務所に帰つてきたあと、組合の小矢田委員長が事業所の部屋へ来て、中沢所長に対し、「今日はこれで打切る」という趣旨の申出をし、中沢所長が一部残つていた地域の給水をやつてもらいたいと要請したのにこれに応じないで立ち去つてしまつた。また同時刻頃本庁前路上に停められていた給水トラツクの水が放出され、消防車もすでに返還され格納されていた。そこで中沢所長は組合側にもはや作業をする意思なしと判断し、管理職員のみで給水を行なうことを決意し、その旨中野所長代理以下の管理職に指示すると共に、自ら消防署長の許に赴いて消防車の借受を交渉したところ、署長はこれを了承し、署員に対し消防車の運転を命じた。そして中沢所長の指示を受けていた堀、堀尾係長が消防車に乗車したところ、塩山書記長がこれを認め、大声で運行を制止して両係長を下車させると共に、市役所前分室附近にいた組合員に急報したうえ、消防署前に引き返し、中沢所長の姿を認めるや、管理職員のみで給水に行こうとしたことを非難しつつ両手で同所長の胸を数回突き、「もう君たちと話合う必要はない」と言つて逃げ腰になる所長のかかとをポンポン蹴りながら数メートルにわたつて押して行くという暴行を加えた。当時中野所長代理は、消防車に乗るべくその助手席に近づいていたが、右塩山の暴行と一団となつて駈けよつてくる申立人ら多勢の組合員の勢いとに畏怖し、いそぎ警察官の出動を求めるべく一〇メートル位離れた消防署一階東南角にある起番室に向い、申立人主張のような仕種をしているところへ申立人が駈けより、前記のように暴言を吐いたり暴行を加えたりしたものである。

以上のとおりの事実関係であるから、西野係長らおよび中野所長代理の行為に何ら不当の点はなく、申立人の行為は到底正当な行為と認め得るものではない。

(三)  本件免職処分は不当労働行為ではない。

(1) 本件処分が不当労働行為ではなく正当な懲戒権の行使たる行為であることは前記の事実関係よりして明白である。

(2) 申立人が本件処分の不当労働行為意思を推認させる事実であると主張している点について次のとおり反論する。

(イ) 田村市長時代、市当局が組合の違法斗争、暴力斗争に屈した結果、職員の綱紀が頽廃して市民の非難の的となり、職員の給与水準が高くなつて赤字財政の最も大きな原因となつていたので、坂井正男は公約として綱紀の粛正と赤字財政の克服とを掲げたものである。即ち組合は、昭和三二年の春斗以来一〇数回以上にわたり、集団団交、全員待機集団団交、撤夜団交などと称し、市長、市長室長を多人数で取り囲み、廊下に多数の組合員を坐りこませ、市長室に続く市会議場に全員の組合員を待機させスピーカーを以て交渉状況を告知し、事実上市長を監禁状態において長時間交渉する暴力的交渉方式を採用し、昭和三四年七月衛生課現業職員ベースアツプ要求の際、ゴミ取り車、し尿車の全部約二〇数台を市役所玄関前に整列させてことさら蓋を開けて臭気を外部に流して市役所の執務を事実上中止させ、昭和三二年の春斗以来一四回以上にわたり休暇斗争と称しあらかじめ指示した組合員に有給休暇をとらせて業務の正常な運営を妨害し、昭和三五年六月以降一六回にわたり超勤拒否斗争と称し労働基準法第三三条第三項の規定に基く命令を拒否させ、昭和三二年頃から勤務時間内において当局の注意を無視して職場懇談会、職場大会、拡大斗争委員会等を開催し、その回数は昭和三五年六月一日以降昭和三八年一二月七日までに一三〇回に及んだ。しかも管理職もすべて組合員とされていたため組合の指令に従わざるを得ず、もしその指令に違反したときは徹底的な攻撃が加えられ、佐々木教育課長の如きは昭和三六年一一月学力テスト実施の際いわゆる吊しあげをされてノイローゼとなり退職するのやむなきに至つた。また組合は、安保反対街頭署名、他都市における組合の支援、ミコヤン副首相歓迎大会といつたほんらい職務免除の対象とならないものについても職務免除を得、組合員多数を庁舎外に動員し、その回数は甚だしい時は一箇月に数回を数え、昭和三七年には一箇年を通じ三〇回を超し、特に昭和三七年一一月九日には全職員の五割である二五〇名以上のものがバスを連ね堺市の組合に応援に赴き、公の選挙のたびに選挙対策委員会を設置し、共産党をはじめとする組合の推薦候補者を掲げ、組合員に投票を強制するのみか、一名につき一〇名獲得というスローガンを掲げて知人を勧誘せしめ、獲得した知人の住所氏名をカードに記入させこれを収集して一覧表を作成し、この表に基いて個別訪問する等撤底的な選挙干渉を公然と実施した。職場では一番仕事の遅い者にペースを合わせるように、また組合活動を職務より優先させるように指導し、市当局に対しては当然なすべき勤務評定を実施することを断念させた。これらの組合の横暴のため、職員の市民に応接する態度は極めて悪く、昼休がすぎても市中で買物をする者、庁舎前グランドで野球をする者、職場で将棋等の遊戯にふける者が多く、市民より非難の投書が殺到した。一方組合の反覆して敢行する違法暴力斗争はその過当な要求をも市当局に受諾せしめる結果となり、職員の給与水準は昭和三四年において国家公務員のそれを追い越し、昭和三七年において国家公務員二万六、七二〇円に対して茨木市三万三、六六〇円となるに至り、職員の増加率も人口の増加率を上まわり、税収入の異常な増加にかかわらずこれに対する人件費の割合が多く、昭和三七年においてなお五〇パーセントを占めた(全国類似都市の平均は四六パーセント)。反面茨木市は昭和三一年四月一日当時金一億八、七九二万円の累積赤字が発生したため、地方財政再建促進特別措置法の施行と同時に再建団体として指定を受け、国よりこの赤字に相当する融資を受けるかわりにこの赤字を八年間に解消することを義務づけられていたが、その後六年を経た昭和三七年一二月現在累積赤字は減少するどころか五億二、五八六万一、〇〇〇円(一般会計、特別会計合算)に達し、やむなく昭和三八年一月政府に対し第二次再建団体の指定を受け、再度その赤字の棚上をしてもらうことを懇願せざるを得なかつたのである。しかして、赤字財政は当然借入金の増加につながるものであり、借入金の増加は金利負担となつてはねかえり、起債あるいは再建償還に伴なう支払利子を除外した一時借入金の利子だけでも昭和三一年から昭和三七年までに一億五一一万二、〇〇〇円にのぼり、昭和三七年にはこの借入すら困難となり、田村市政末期において茨木市の財政状態は完全な破綻を示していたのである。しかも茨木市の税収入の伸率は昭和三一年と昭和三七年とを比較すると実に四六八パーセントと増加(府下衛生都市の平均は三〇六パーセント)していたのであるから、財政破綻の原因は支出面にあること明らかであり、支出面の急増の主たる原因は人件費の増加にあつた。坂井市長の選挙公約およびその後の施政は、以上のような前提のもとに理解さるべきである。

(ロ) 坂井市長が組合脱退を強要した事実はなく、前記の如く田村市長時代において管理職体制が完全に崩壊していたので、これが是正を求めたのにすぎず、地方自治法上当然のことである。そして管理職らが組合を脱退したのは、前記の如く、過去において組合員の立場と管理職の職務とが相容れなかつたがためにほかならない。近時ILO第八七号条約の批准に伴う地方公務員法改正により管理職を組合員としないよう措置している点よりみるも管理職の脱退は当然というべきである。

(ハ) 職員採用委員会なるものは、ほんらい住民により選挙された者のみが持つべき任命権を組合という圧力団体を以て左右しようとするものであつて(現に組合は組合と特別な情実関係にある者に対し面接試験において有利な採点をするなどして採用をはかつた)、地方自治の精神に照して不当であり、坂井市長がこれを廃止したのは当然のことであつた。

(ニ) 市当局が団体交渉を故意に拒否した事実はない。たとえば昭和三八年五月二五日にはじまる夏季一時金等要求についてみても、本件自主給水が強行された同年六月二〇日までの間に、六月三日午後五時から八時半まで、同月五日午後〇時一五分から一時二〇分まで、同日午後五時半から八時まで、同月一五日午後〇時一五分から一時二〇分まで、同月一七日午後五時から八時まで、同月一八日午後〇時三〇分から一時までと、実に六回にわたり長時間団交を行なつている。

(ホ) 坂井市長が昭和三八年に限り定期昇給をストツプし、また昭和三七年度の人事院勧告を実施しなかつたことは事実であるが、前述の如き職員の給与水準および赤字財政にかんがみ、やむを得ない一時的措置であつた。

(ヘ) 茨木市は昭和二九年以来八箇村を合併して大きくなつた市であるが、合併の都度役場の職員をそのまま引継いできたので、管理職に高令の者が多く有能性に欠けるところがあつたから、坂井市長は昭和三八年六月高令者退職優遇臨時措置条例を一部改正して高令者の退職を図り(勧告に応じて三八名が退職した)、同時に有能な人材の補充を行ない、停滞していた人事を刷新したのであるが、この過程において中堅幹部が不足したので、有能な若い人材を外部から求めたものであり、極めて積極的、意欲的な人事であり、適切なものであつた。組合弾圧の目的とはいわれなき主張である。

(ト) 坂井市長が組合分裂を促進させた事実はない。組合が分裂したのは本事件の後である昭和三八年八月八日一〇割休暇斗争という甚だしい違法斗争を決定しこれを実行しようとした直後のことであつて、この組合の斗争方針に同調できない者が別の組合を結成したのである。その後の分裂もすべて組合の過激な斗争による自壊作用である。

(3) 右のごとく、申立人の主張するところはすべて失当である。坂井正男は昭和三八年一月二八日市長に就任し昭和四〇年二月二〇日市長を辞任したものであるが、組合の違法暴力斗争にも屈せず綱紀の粛正と赤字財政の克服を遂げ、市民の賞賛を浴びたのであるが、その諸施策を申立人は手前勝手な見解から非難しているのにすぎない。

(四)  本件免職処分は懲戒権の濫用ではない。

(1) さきにも主張したとおりの事実関係であるから、申立人の行為は極めて悪質である。暴力の行使はいかなる場合においても許されないところであるが、まして違法な組合活動の過程において敢行された暴力はきびしい非難に値する。懲戒権者が懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるかもしくは懲戒権者を任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されていることは最高裁判所の判例の確定するところであつて、本件処分がその裁量権の範囲内のものであることは明白である。また一般に、行政処分の適法不適法を判断するにあたつては、処分当時客観的に存在する事情の全部が斟酌されるのであつて、免職処分当時処分理由として表示されなかつた事実もしくは当事者が知らなかつた事実であつても斟酌されるべきは勿論である。

(2) なお申立人は、昭和二六年以来組合役員を歴任し、衛都連および本件組合が違法斗争を敢行するに当つては常に率先遂行者となり、特に暴力の行使を伴う斗争においてはその中心的役割を果たしたのであつて、現在判明しているだけでも次の暴力事件を発生させている。

(イ) 昭和三三年一二月二七日茨木市教育長谷本武夫と大教組茨木支部との間で行なわれた勤評問題の団交に応援者として参加し、前夜から夜通しで行なわれた団交のため疲れて沈黙した谷本教育長の頭をやにわに殴りつけた。

(ロ) 昭和三四年一二月一日池田市において賃上の団交が行なわれた際組合側の応援者として参加し、団交が三日三晩徹夜して行なわれたため川西助役が一旦席を立つて市長室に引き揚げようとしたところ、申立人は「逃げるのか」とつめより同助役の腕、胸等数箇所を殴りつけた。この事件は刑事事件となつたが池田市職が謝罪して不起訴となつた。

(ハ) 昭和三四年一一月八日富田林市における団交に組合側応援者として参加し、深夜にわたり市長室に当局者を軟禁するが如き状態に追いこんだ上、「刺してしもたろか」「ババかけたら分るやろう」とか申向けて市長を脅迫した。

(ニ) 昭和三五年度給与改訂に伴う賃上斗争の際茨木市当局者と団交中、田中市長代理に対し、「お前のさしがねで理事者は組合の申入を拒絶したんや、こいつは組合の敵だ」と怒号しつつ同人の胸を突きとばし、同人を数メートル離れた壁にまで押しつけた。

(ホ) 昭和三五年一一月布施市における団交に組合側応援者として参加し、人事課長土田富一が「この問題は組合がよく知つている、衛都連の人はしばらく黙つてほしい」と言つたことに激昂し、やにはに同人のネクタイをつかんで締めあげ、「殴つたろか」と申し向けた。

以上のとおりであるから、申立人が本件免職処分の取消原因として主張している諸点はすべて失当であり、申立人の提起した本案訴訟は当然敗訴を免れないところである。

四  処分の効力の停止が認められたときは公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

前記のとおり、申立人は給水業務に携わつている管理職に対し暴行を行ない、市の業務の正常な執行を不能におとし入れたものであるから、処分の効力が停止されて申立人が職場に復帰するときは、職場の秩序維持に大きな混乱を生じ、行政事務に円滑を欠き、住民の福祉に影響を及ぼすおそれがあり、他の公務員に対する戒めの意味をも失なうことになる。また公務員秩序の問題はひとり茨木市だけの問題でなく全国的に影響があると謂うべきである。また申立人の指導した組合によるいわゆる自主給水は業務管理の形態をとつた争議行為であるから、もし執行停止が認められると、公務員の争議行為とりわけ暴力行為的争議行為が裁判所によつて是認せられたかの感を茨木市職員その他の関係公務員に与え、公務員の争議行為を禁止した地方公務員法の規定が各地で軽視される結果を来たすおそれがある。申立人は暴力行為的争議行為の指導者であつて、単に茨木市役所七〇〇名中の一人の職員が職場に復帰した場合と同日に論ずることができない。よつて本件免職処分の効力の停止が認められたときは公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

以上、回復の困難な損害を避けるための緊急の必要性がない点、本案について理由がない点、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある点、いずれの点よりみるも本件の申立は理由がないから、却下さるべきである。

第三疎明(省略)

第四当裁判所の判断

一  免職処分の存在および本案訴訟の係属

申立人が昭和三八年七月当時茨木市技術吏員の職にあつたこと、申立人に対する任免権者であつた相手方が昭和三八年七月三一日付を以て申立人を懲戒免職処分にしたことおよび申立人が不利益処分審査請求の手続を経た上相手方を被告として昭和三九年一一月四日右免職処分の取消訴訟を提起し、その訴訟が適法に当裁判所に係属していることは、当事者の一致する主張ならびに当庁昭和三九年(行ウ)第七二号懲戒免職処分取消請求事件の訴訟記録に照して明らかである。

二  回復の困難な損害を避けるための緊急の必要があるかどうかについて

(一)  疎甲第三二号証の一、二、四、第三三号証、第三四号証、第三六号証、第三九号証、疎検甲第一号証の一ないし一五、疎乙第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし三、第七号証、第九号証、第一六号証の一、二、第一〇九号証、第一一〇号証の一ないし七、疎検乙第一号証の一ないし七、および申立人審尋の結果を綜合すると、次のとおり一応認めることができる。

本件免職処分当時申立人は衛都連の書記長として組合専従をしていたので衛都連より給与を受け、その額は申立人が茨木市職員として受くべき額より一号俸高い額であつたが、衛都連内部の事情から役員を辞職せざるを得ないことになり、昭和四〇年八月衛都連書記長を辞任し、以来衛都連より給与を受けられないことになつた。そして本件免職処分のため昭和三八年七月三一日以降茨木市職員としての身分を失つているので、茨木市よりも給与を受けることができない。

申立人の家族は、本人、母(明治三六年生)、妻(昭和四年生)、長女(昭和三八年生)、妹(昭和一九年生)の五人である。父は昭和四二年五月二七日に死亡したが、もと教員をしていたので恩給がついており、母が現在年額金五万六、二二九円の普通扶助料を受けている。母は以前生命保険の外交員をしていたが、老令のことでもあり現在はやめているもののようである。妻は吹田市役所内にある自治体問題研究所でアルバイトをしており、日額金八〇〇円、月にして大体金一万三、〇〇〇円の収入を得ており(非常勤で通勤費の支給はない)、妹は短大を出て勤務につき月額金二万三、〇〇〇円位の収入があるが、婚期でもあり月額金五、〇〇〇円位を食費として家へ入れる程度である。

現在居住している家屋および敷地は父名義のもので、公簿上家屋は倉庫、物置を含めて三一五平方米余(居宅のみで二〇三平方米余。なお物置の一部は朽廃により取こわしたもののようである)、敷地は四四二平方米余であるが、家屋はすでに耐用年数を経過した農家風の家で取引価値は殆んどなく、ただ敷地は鑑定上金三〇五万円余の価値があるものと認められる(地上に建物があるためかえつて取引価格が減ぜられる)。家屋敷地共父の弟が実質上経営する寿電気工業株式会社が取引上負担した債務を担保するため、昭和三〇年八月二五日太陽電線株式会社および株式会社帝国電線製造所に対して譲渡担保に供されていたが、寿電気工業株式会社は営業をやめ、太陽電線株式会社は昭和三七年三月三一日現在で金八一万一〇六円、株式会社帝国電線製造所は昭和三七年二月六日現在で金四七万五、三九四円の各債権を有していたが、回収不能債権として帳簿上損金処理をしてしまつたため、右土地家屋は実質上担保権の負担がないのと同様である。父の相続人は、母、申立人、妹のほか他家に嫁した姉、妹、別居の弟がいるので計六人である。なお右家屋は駅より四キロ位離れた場所にありバスの便が悪く、附近には農家が多くて間貸などには適しない。

ほかに公簿上申立人の祖父ほか一名共有名義(持分各二分の一)の山林一六一平方米があり、鑑定上金五三万円余と評価されるが、この土地は申立人家らの墓地であつたものの如く、その相続関係は明らかでなく、直ちに処分可能であるとも認められない。

そのほかには格別の資産がなく、申立人は現在衛都連より「組合活動犠牲者」として月額金六万二、一六〇円の救援金を受け(その額はおおむね申立人が原職復帰すれば受け得べき給与の額)、主としてこれにより生計を維持している。

以上のとおり一応認められ、右認定を左右するに足る疎明はない。

(二)  相手方は、申立人は本件免職処分後の昭和三八年八月頃から守口市の職員になつている旨主張するが、疎乙第八号証、疎甲第三七号証および申立人審尋の結果によれば、守口市長が会長をしている大阪府衛生都市市長会と衛都連とは被解職者で係争中の者に健康保険加入の便宜を与える目的を以て特別の覚書を交換しており、申立人はこの覚書に基き健康保険加入に関し守口市職員と同様の待遇を与えられているにすぎず正式に守口市職員として任用されたのではないこと、少くとも守口市は申立人に対し現在職員としての給与を支払つておらず将来も支払う意思のないことを認めることができる。また相手方は申立人の父は生前金一〇〇万円を第三者に利息付で貸付けており、この債権は現在申立人らに帰属している旨主張するが、その貸付けたと称する相手方の氏名も明らかでないし、その援用にかかる疎乙第一〇号証は申立人の父が雑談的に述べたことを聞いた旨の陳述書であつて(その場の情況上真実でないことを語る場合もあると思われる)、これを疎甲第三八号証および申立人審尋の結果と対比すれば、右陳述書により直ちに金一〇〇万円の債権の存在を認めるに足らず、他に相手方の右主張を認めるに足る疎明はない。次に疎乙第一二号証、第一四号証および申立人審尋の結果によれば、申立人が現に健康保除に加入していること、今なお社団法人大阪府市町村職員互助会の会員で生活資金一〇万円位の借入が可能であること、互助会に退会の申出をすれば生産資金(退職給付)として金七〇万円位の支払を受け得られ、別に金三〇万円位の貸付を受けることが可能であることが認められるが、これを以てただちに申立人の生活に不安がないとか他の営業により安定した生計を営むことが可能であるとは謂い得ないであろう。なお疎甲第四〇号証によれば申立人は従前大阪府衛生都市職員共済組合の組合員であつたが、昭和三八年一二月一日を以てその資格を喪失し現在組合員ではないことを認めることができる。更に疎乙第一五号証によれば、申立人は大阪府農業改良普及員および家蓄人工授精師(牛)の資格を持つていることが認められるが、このような資格が就職上特に有利であるとも認め難いところである。

(三)  ところで相手方は、申立人は現在衛都連より救援金を受けているから生活に困ることはない旨主張し、申立人がその救援金を主たる収入源として生活をしていることは前認定のとおりである。そして、疎甲第三二号証の三、四、第三五号証の一、二、疎乙第三号証の一、二、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一、二および申立人審尋の結果によれば、現在申立人が受けている救援は、衛都連の救援規約、救援規程に基くものであつて、これによれば、組合員が組合運動に関連して解職の処分を受けるに至つたときは、衛都連は当然に救援することを要し、救援するや否やの裁量を残さないものであること、被救援者が本案訴訟において勝訴し給与回復措置がなされた場合には救援を受けた額を限度としてこれを返還しなければならないが、敗訴した場合は返還することを要せず、別に本人が解職時において当局から受ける筈であつた普通退職金の倍額に金五〇万円を加えた金額が支給されること、ほかに退職一時金の名義で解職辞令が出された時に金五万円が支給されること、救援のための資金は衛都連傘下の組合の組合員各自から拠出され、その額は一人あたり年額金一、〇〇〇円で特別会計がもうけられ、毎年予算決算が行なわれること等を認めることができ、右認定に反する資料はない。

しかしながら、救援金なる制度の趣旨とするところを考えてみるに、被解職者に対する救済ということは現在の法制度上労働組合の本来の目的たる行為でないのであるが、賃金を以て生活を維持するほかない労働者として解職されれば忽ち生活に困窮するところから、他の組合員において相互扶助の精神から各自その賃金の一部を割きこれを組合に集め、組合の手より被解職者に交付して当座の生活を援助しようというにあるものであることは明らかである。してみれば、所詮その金員は同じく賃金を以て生活するほかない他の労働者よりの貸付金又は贈与金にほかならず、当該労働者が生活に困窮しているがゆえにこそ交付されるのであるから、その救援金があることを以てその労働者の生活が困窮していないと評価することはできないものと謂うべきであり、仮にその救援が組織的、統一的に行なわれ、外形上その資金が多量に見えようともその理は変るところはないと解すべきである。

(四)  右のとおり、申立人の現在の生計の維持は殆んど組合の救援金によるもので、もしこの救援がないとすれば忽ち生活に困窮すること明らかであると共に、申立人の提起した本案訴訟はすでに三年以上を経過し、訴訟の推移よりみてその確定までにはなお数年を要すること確実と考えられるから、本件の場合は回復の困難な損害を避けるため処分の効力の停止を求める緊急の必要がある場合に該当すると謂うべきである。

三  本案について理由がないと見えるかどうかについて

(一)  相手方は、申立人は本件処分後の昭和三八年八月頃から守口市の職員となつているから、本案訴訟は訴の利益を欠くものとして敗訴を免れない旨主張するが、免職処分により一つの地方公共団体の常勤職員たる地位を失つた者がその後更に他の地方公共団体の常勤職員に任用されたからといつて、直ちに前の免職処分の取消を求める法律上の利益が失われるものとは解し得られないと共に、前判断のように申立人は法律上守口市職員たる地位を取得したものでないと認められるから、相手方のこの点の主張は理由がない。

(二)  本件免職処分の処分事由と主張されている事実について検討するに、疎甲第一一ないし第一六号証、第一七号証の一、二、第二〇ないし第二二号証、第二九号証の一、二を綜合すると、次のとおり一応認めることができる。

昭和三八年六月二〇日午後七時頃茨木市役所本庁前において、茨木市水道事業所所長中沢一夫の命令を受け、業務係長堀尾清治、経理係長堀顕、浄水係長西野隆則の三名が断水地域に対する給水に赴こうとして給水タンクを積んだトラツクに乗りこんだところ、申立人は「管理職降ろせ」などと叫びながら数一〇名の者と共に右トラツクに近寄り、堀、堀尾各係長を下車させると共に自らトラツク助手席にいた西野隆則の腕をとつて無理に引つ張り降ろした。

同日午後一〇時二〇分頃同じく中沢所長の命令により、水道事業所所長代理中野太一が消防自動車で給水に赴こうとして茨木市消防署のガレーヂ前にいた際、申立人は、「お前がいかんのや」などと怒鳴りながら、同人の頸筋を背後から突いて前によろめかせ(その際同人は唇を噛み少し血を出した)、また同人の前又は横から数回胸あたりを手で突いた。

以上のとおり一応認められ、右認定に反する資料は一応信用できない。

(三)  次に、右のような事件の発生するに至つた経緯に関し検討するに、疎甲第一号証、第二号証の一、二、第四号証の一ないし一〇、第五号証、第六号証の一ないし三、第七ないし第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九号証の一、二、第二〇ないし第二三号証、第二四号証の一、二、第二五号証、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八号証、第二九号証の一、二、疎乙第四七号証、第五一号証、第五二号証、第五四号証、第五八号証、第六一号証、第六二号証の一、二、第六三号証、第六六号証、第六九号証の一、二、第七二号証、第八〇号証の一、二、第八二ないし第八四号証、第八五号証の一、二、第八六号証、第八七号証、第八八号証の二、第九〇号証、第九一号証の一、二、第九五号証、第九六号証、第一〇一号証、第一〇五号証、第一〇七号証、第一〇八号証、疎検乙第二号証の一、二を綜合すれば、次のとおり一応認めることができる。

(1) 茨木市は大阪府の衛生都市として近時人口が次第に膨脹し水の需要も増加したが、市の上水道設備がこれに伴なわず、毎年渇水期には周辺の高台地区で屡々断水又は減水が発生していたが、昭和三八年六月一七日頃まで曇(時に小雨)の天気が続き、気温は六月一六日正午で摂氏二三度九分、一七日正午で二五度二分であつたのに、同月一八日以降晴れ上り、気温は一八日正午二九度五分、一九日正午二九度九分、二〇日正午三〇度九分と高くなり、夏型の天気となつた。これに伴い各家庭の水使用量が増加したのみならず、安威川の表流水を第三水源地の貯水地に汲みあげる揚水ポンプが同月一七日午後二時頃より故障し(モーターの焼損)使用不能となつていたため、市内周辺部の中穂積、三島丘、上穂積などが同月二〇日午前中から(一部の地域は前日の一九日から)断水又は減水となり、茨木市水道事業所(茨木市役所建物内に所在)には断水に対する苦情や給水要望の電話が相ついだ。水道事業所では前記揚水ポンプの修理をいそがせると共に、断水地域に対する各戸給水を実施するため経理係長堀顕に命じてトラツクで吹田市へ給水タンクを借りに行かせた(当時茨木市の給水タンクは道祖本簡易水道で使用中で各戸給水に使用できなかつた)が、吹田市のタンク置場へ行つてから蛇口が故障している等の理由で貸与を断られたので一旦市に戻り、チエンブロツクを準備した上更に箕面市へ借りに行き、午後二時頃同市の山手にある浄水場へ着いたが、タンクのトラツクへの積込作業が甚だ手間どつた。事業所ではタンクの借入がはかばかしくゆかないので、午後二時四〇分頃茨木市消防署(市役所南側に隣接)に対して消防自動車の出動を求め、消防車で各戸給水を実施することにし、給水係員塩山博之(組合の書記長)外五名を乗車させ(運転手は消防署職員)、午後三時頃よりまず三島丘方面の総持寺府営住宅の給水を実施させたが、到底勤務時間である午後五時までに給水を完了することが不可能な見通しであつたので、午後四時頃前記塩山博之ら七名の事業所職員に対し業務命令を出すことにし、同日午後五時より一〇時まで給水作業に従事すべき旨および場合により時間を延長すべき旨記載した業務命令書を作成し、もし職員が業務命令に従わないときは管理職員だけで給水作業にあたることを予定し、午後五時頃まず阿田幸男ら三名の者に業務命令書を手交した。一方堀係長らは漸く給水タンクをトラツクに積みこむことができ、午後四時二〇分頃市役所に戻り、第三水源地へ行つてタンクに満水し、午後五時頃市役所玄関前に到着した。なお消防車は前記塩山博之らにおいて勤務時間を経過した午後五時以降勤務より離れたので、水を入れたままの状態で第三水源地に置かれた。

(2) 申立人の所属する茨木市役所職員組合(以下単に「組合」とも略称する)は、茨木市役所職員(現業職員を含む)の大部分を以て組織する組合であるが、衛都連傘下の組合の中でも特に団結が強固で過去数年間かなり大幅な賃上げを当局に認めさせるなど活発な行動を行なつていたものである(その行動がすべて適法なものであつたかどうかは暫く措く)。坂井正男は昭和三八年一月職員の綱紀の粛正と赤字財政の克服とを公約に掲げて市長に当選したものであるが、組合の数々の違法斗争や横暴な態度により職員の綱紀が弛緩しているものとし、選挙公報に「職員中一部過激分子の破壊的活動を排除し正常にして明朗な組合運動の育成を計る」と記載し、選挙演説のある日、「一匹の土佐犬が三〇匹の赤犬をかみ殺す」と述べた(坂井正男は高知県出身であり、三〇匹の赤犬とは組合幹部を指すものと推認される)。組合は同年二月頃より四月始頃にかけて、年度末手当の増額支給、退職手当金の増額、賃金引上、地方公務員共済組合法の施行に際しての既得権の保障、衛生課職員に対する懲戒問題および懲戒の基準に関する事項、高令者退職優遇措置条例の運用、定期昇給の実施等を交渉事項として掲げて一〇回位交渉を要求したのに対し、坂井市長は組合の要求する事項は勤務条件外の事項であるということを主たる理由として交渉を拒絶し、組合が課長会を通じ或は市会議長のあつせんに依頼して交渉を求めても容易に交渉に応じようとしなかつた。職員(現業職員を含む)の時間外勤務に関しては昭和三四年頃より事前協議制なる制度が行なわれ、毎月一回各課長(これに準ずる部署の長)より翌月分の必要人員数、時間数、仕事の種類等を記載した書面を市長室に提出し、理事者においてこれをとりまとめて組合を代表する者と協議し、協議の成立した枠内で職員に時間外勤務をさせるという方法がとられていた(これにより不必要な時間外勤務を抑制するという効果はあつたものと認められる)が、坂井市長は右制度は一般職に対する時間外勤務命令権に拘束を加えるものであるとして廃止した。組合は時間外協定のない以上超過勤務命令には応じられないとの基本的態度をとつていたが、実際上は各課の長が部分的、個別的に組合の委員長の了承を得た上で時間外勤務を命じていたところ、同年六月一日水道課は地方公営企業法の全面的適用を受け水道事業所として発足したが、当局側から三六協定締結の申入れをしたことはなかつた。ところで組合は、同年五月二五日付で「定期昇給を完全に実施すること、人事院勧告に基き給与改訂を行なうこと、夏季手当を一・八箇月分プラス金一万一、〇〇〇円支給すること、高令者に対し強制的な退職勧告をしないこと、臨時職員を定数化すること」を内容とする要求書を提出し、六月始頃より同月一八日までの間に六回位当局者と交渉の機会を持つたが、坂井市長は同月一五日昼一時間位交渉したのみでその余はすべて大槻良衛助役(水道事業所管理者兼務)に委せ、大槻助役において坂井市長の方針を代弁し、同年四月行なわれる筈であつた定期昇給を中止したのは茨木市の財政が甚だしい赤字状態にあることと茨木市職員の給与ベースが府下衛生都市中第四位にあることのためであり、人事院勧告に従わなくとも給与ベースは近隣同格都市に比して遜色なく、夏季手当は法律に定められたとおり一・三箇月分しか出せないと回答し、組合の要求を容れなかつた。組合は六月八日要求貫徹のため無期限超勤拒否斗争を行う旨当局に通告し、毎日のように勤務時間後の午後五時から全員集会を開き、また同月一〇日から三回位大槻助役の私宅にデモをかけたりしていたものである。

(3) 六月二〇日前記のような事情で断水状態が発生し、当時茨木市における斗争指導のため自治労(組合の上部団体)より茨木市に派遣されていた自治労近畿地連書記長磯村謙次は同日正午過頃大槻助役に会い、自分も交えて団交を開くことを求め、なお本日のような断水にそなえて三六協定を結んでおくことは市にとつても必要ではないかと述べたが、同助役はその申入れを市長にとりつぐことを約したのみであつた。組合幹部は同日午後四時すぎ当局が業務命令により水道事業所職員に時間外給水作業をさせようとしていることを知つたが、あたかも超勤拒否斗争を行なつている折柄であると共に三六協定なくして発せられる業務命令は違法であるとの見解を有していたので、右業務命令を容認することはできなかつたが、さりとてそのままにしておいては業務命令に従う者が出たりまた命令に従わずに不利益処分を受ける者が出たりするおそれがあるものと判断した。その頃組合幹部は前記磯村謙次をも交えて協議を行なつた上、同日午後五時より開かれた全員集会において、申立人より組合員らに対し、業務命令は違法であるから従えないこと、この機会に組合執行部から当局に対し団体交渉の申入れをすること、交渉が不調に帰したときは業務命令と関係なく組合として自主的に給水作業を実施すること、その作業の責任者は組合書記長塩山博之とすること等を告げ、出席していた組合員らの賛成を得た。そして塩山書記長は水道事業所勤務の組合員約二〇名を引率して第三水源地に赴きそこで待機し、小矢田委員長および原田副委員長(副委員長は二人)は大槻助役に会つて交渉の申入をしたが、同助役は「今日こんな状態なのにやはり超勤拒否をするのか、交渉をやつている時間もない」と言つて交渉に応じなかつた。中沢所長は塩山書記長ら水道事業所の職員が第三水源地に集まつていることを知り、塩山ら四名の者に対する業務命令書を携え中野所長代理と共に乗用車で午後六時頃水源地に赴いたが、同所長は三六協定なしでの業務命令の効力には疑問があるものと考え、また水道課長時代超勤拒否斗争に入つている組合員を説得して給水に当らせた経験があつたところから、もつぱら説得により作業を実施させようとして業務命令書を交付せず、「業務命令により給水に行けとは言わないが、市民が困つているのだから、とにかく早く給水に行つてくれ」と述べたが、塩山書記長は同所長に対してはかなり好意を抱いていたものの、三六協定なくして業務命令を出した当局の非を責めたり、水道事業所係長に経験のない部外者があてられていること(西野係長、今井係長を指す)に不満を述べたりすると共に、市民の迷惑はわかつているが組合の執行部から当局に交渉の申入をしているからすぐには応じられない旨を述べ、時間が経過していたが、その頃坂井市長は本庁前で箕面市より借入れた給水タンクを積んだトラツクがそのまま置いてあるのを発見し、中沢所長に電話をかけ早く帰つて市役所前のトラツクをすぐ出発させるよう命じて来たので、中沢所長は説得をあきらめ、管理職員だけで作業をすることもやむを得ないと考え、消防車の運転台にいた消防署職員に対し、給水のため車を出してくれるよう述べた。この頃市役所にいる申立人より塩山書記長に電話がかかり、執行部より申入れた交渉は不調に帰した旨連絡があつたので、塩山は自主給水に出るもやむなしと考え、中沢所長に対し、とにかく自分にまかせてくれ、給水に出発する、という趣旨のことを述べ、引き続いて総持寺府営住宅への給水に当ればよいかと聞き、申立人に中沢所長と話合がついた旨電話した。そして一応市役所へ帰ることにし、消防車に乗車して中沢所長らの自動車の後から市役所玄関前に着いた。

(4) 中沢所長は塩山書記長らが消防車で給水に行くことは承知していたが、組合のみの手による給水というようなことは考えていなかつたので、市役所へ帰りつくやすぐに堀、堀尾、西野各係長に対し給水トラツクで中穂積地区へ給水に行くよう指示をし、この指示に従い右各係長らはトラツクに乗りこんだ。他方申立人ら組合幹部は塩山書記長よりの連絡により、いわゆる自主給水について中沢所長との間に了解がついたものと考え、この旨をその頃再開された全員集会で報告していた矢先であつたから、トラツクに乗りこんだ管理職員の態度を意外とし、申立人において「管理職降ろせ」と叫びながら他の組合員らと共にトラツクの傍に走りより、前記のように自ら西野係長を引つ張りおろしたものである。

(5) そして組合員らは消防車および給水トラツクに組合の小旗を立て、数名ずつ乗りこみ、拍手におくられて給水に出発し、宣伝車により「組合が給水をする」旨宣伝し、断水地域と水源地との間を三回位往復し、総持寺府営住宅、中穂積公団住宅等に給水したが、従前は時間外給水の場合夕食が出ていたのに今回は組合より要請するも夕食が出ず(中沢所長は夕食の準備をするよう命じたが、中野所長代理らは今回の給水は組合が勝手にやつているのだからとして積極的に事を運ばなかつたので、夕食の提供が著しく遅延した)、やむなく組合側で夕食を準備したのであるが、このことに組合員の中で不満を洩らす者があつたところ、午後一〇時頃水源地にいる北川係長よりあらたに下穂積の一部に給水希望があつた旨連絡を受けた。作業員らは塩山書記長を中心にして協議したが、一応予定地域の給水を終了したことでもあり、業務命令も一応午後一〇時までとなつているのであるから一旦帰庁して休憩し、夕食も出さずに一〇時以後も給水させようとする当局の態度に抗議し、その上で爾後の給水をするかどうか決めようという相談になり、その趣旨を水源地の北川係長、組合事務所の小矢田委員長に電話連絡し、消防車は水源地で満水にした上市役所に向い、塩山はトラツクに乗りかえた上、残つた水で中穂積の一部を給水し帰途についた。そして北川係長より事業所へは組合員が市役所へ一応引揚げる旨の電話連絡をした。

小矢田委員長は水道事業所へ赴き中沢所長に対し食事を出さなかつたことについて抗議をしたところ、同所長は、食事を出さなかつたことはすまないけれどももう少し残つているので給水してほしいと述べたので、小矢田委員長は、組合はもうやらないと思うが一ぺん塩山書記長に相談してみると答え、事業所を出た。組合員らはその頃帰庁し消防車は消防署ガレーヂに格納されたが、給水トラツクで帰つてきた塩山は、仮に給水を継続するにしても爾後の給水はタンクの安定している消防車だけで行なえばよく、トラツクの給水タンクは余水を残しておくとさびて翌日の給水に差支えがあるとして、バルブから残り水を放水した上、爾後の給水のことについて話合をすべく水道事業所へ行つたが、所長が見当らなかつたので、中野所長代理にその旨伝言してくれるよう依頼した。その後中沢所長は小矢田委員長から連絡がなく、且つ堀係長からトラツクの水が放水されている旨の報告を聞いたので、組合はもはや給水を継続する意思がないものと判断し(中野所長代理は塩山書記長よりの伝言を伝えなかつた)、爾後の給水を管理職員だけで実施することに決め、堀、堀尾、今井係長や中野所長代理にその旨指示し、消防署に赴いて署長に対し再度消防車を出してくれるよう依頼し、その承諾を得た。他方、塩山は中沢所長の意図を知らずその所在を探し、堀尾係長に聞いて所長が消防署にいることを知り、署長室に来て話合のため事業所に帰ることを求め、ひとりで一旦消防署を出たが、その直後消防署職員の運転する消防車が出庫し、堀、堀尾係長がこれに乗車しているのを認め、自分達組合員を無視して管理職員だけで爾後の給水を実施しようとするものとして大いに立腹し、消防車の前面に立ちはだかつて運行を制止し、堀、堀尾係長を下車させると共に、組合事務所にいる組合員に急報して引返し、その頃消防署署長室を出て車庫前に出てきた中沢所長の姿を認めるや、「今日の給水をまかせると言つておきながら、今になつて話が違うではないか」などと叫びながら、中沢所長の胸附近を数回手で突いたり、後ろへさがる同人の足をゴム長靴をはいた足で蹴つたりした。申立人は塩山書記長の急報により組合事務所を出て他の組合員と共に現場へ走つてきたが、中野所長代理が警察官の出動を求めようとして消防署の起番室の方へ向い、右手を高くあげてぐるぐるまわし、電話をかける仕種をしているのを見て、組合員らが夜遅くまで作業をしているのにたやすく警察官を導入するものとして立腹し、前記のような暴行を加えたものである。

(6) その後塩山書記長は事業所で話合おうと述べ、組合員らと共に中沢所長、中野所長代理、各係長を事業所へ伴い行き、管理職員だけで給水に行こうとしたこと、食事の準備をしなかつたこと、水道事業所の係長に部外から未経験者を採用していることなどについて非難を浴びせ(申立人は出席せず)、一部の組合員はふたたび消防署に消防車の出動を求め、午後一一時頃未給水地域への給水に赴いた。

以上のとおり一応認められ、本件疎明資料中、右認定に反する部分は一応信用できない。

(四)  ところで、本件においては、水道事業所管理者の発した業務命令の適法性が問題となつており、この点は組合のいわゆる自主給水の評価更には申立人の行為の情状に影響すると考えられるので、以下この点について検討する。

労働基準法第三三条第三項によれば、公務のため臨時の必要がある場合においては一般の公務員に対し勤務時間を超えて労働させることができるとされている。水道事業所の職員が法制上公務員であることは疑がないけれども、地方公営企業の営む事業内容は本質的に私企業の行なう経済活動と同様であつて公権力の行使を含んでおらず、法律も企業としての経済性を発揮させるためその組織および財務に特別の措置を講じて地方公共団体より或程度の独立性を附与し、その職員の労働関係についても団体交渉、労働協約の締結を認めるなど一般労働者に類する取扱をしていることにかんがみると、地方公営企業の行なう業務は右労働基準法第三三条第三項にいう公務に該当するものとは解せられない。また本件の場合、水道事業所とその職員との間に労働基準法第三六条による協定、いわゆる三六協定が締結されておらなかつたことは前認定のとおりである。そうすると水道事業所職員に対し時間外勤務を命じ得るのは同法第三三条第一項の場合、すなわち「災害その他避けることのできない事由によつて臨時の必要がある場合」に限られることになる。

そこで、右にいう「災害その他避けることのできない事由」の意義について考えてみるに、その文言および労働基準法が労働者の時間外労働を厳格に規制している趣旨にかんがみると、火災、水害等の災害およびこれに準ずる事故、すなわち業務の運営上通常は発生することがないためあらかじめこれを避けることができなかつた事故を指し、かかる事故によつて臨時の必要を生じた場合にのみ時間外労働をさせることができる趣旨であると解するを相当とする(なお三六協定はこれを締結すると否とは労働者の任意なのであるから、右法文の解釈に当つて直接関係がないと解する)。本件についてこれをみるに、断水ということはたしかに業務上および公益上さし迫つた就労の必要性のある場合ということができるが、茨木市の場合過去幾回となく喝水期に断水状態が発生していたこと前認定のとおりであるから、業務の運営上通常発生することのない事故と謂うことができない。相手方は、地方財政上やむを得ない事態であつた旨主張するが、水道事業を行なう者として、例年の如く喝水期に断水を発生させるような業務運営が許されてよい理はなく、地方財政上十分な上水道設備をもうけることが著しく困難であつたというだけでは避けることのできない事故であつたと謂うことができない。そして一旦断水が発生すれば各戸給水の業務が時間外にわたらざるを得ないことのあることは容易に推測できるところであると共に、疎甲第一一号証、第一七号証の一、第二七号証の一を綜合すると、茨木市における従前の例として、夕食時に給水希望が多かつたりして各戸給水が午後一〇時頃に及んだことがあることを認めることができるから、勤務時間外の時点においてなお各戸給水の必要が存したという点を以て、災害その他避けることのできない事由があつたと認めることができない。

もつとも、本件の断水原因ないしは時間外給水を余儀なくさせた原因が過去の場合と事情を異にし、上水道設備の不備と全く関係なくして発生したのであれば別論であるから、以下この見地より更に検討する。

本件において、安威川の表流水を汲みあげる揚水ポンプが故障したこと、この故障が本件断水の一原因となつていることは前認定のとおりであり、この故障が予期することのできないものであつたことは間違いがないであろうが、疎甲第一四号証、乙第八五号証の一によると、この揚水ポンプは一時的、応急的のものであり、河川法上も問題がある設備のようであつて、このような揚水ポンプ自体上水道設備の不備の範囲内であると解し得られるところである。更にこの揚水ポンプの故障のみから本件の如き範囲の断水が惹起されたとは認められず(揚水ポンプは一七日午後二時頃より故障)、より大きな原因としては一般家庭における水使用量の増加が考えられる(これは乙第八五号証の一によつても窺うことができる)ところ、このようなことはもとより当然に予測すべき出来事であると謂わなければならない。

相手方はまた貯水地の送水ポンプの安全運転が行なわれ、これもまた本件断水の一原因をなしている旨主張するが、まず安全運転の実行自体推認による主張であつて相手方がその実行者の氏名を明らかになし得ないところであると共に、この点に関する疎乙第八八号証の一(西野隆則陳述書)につき検討するに、この陳述にあらわれた当時の第三水源地、穂積配水地の水位その他数字的な資料そのものに誤りはないにしても、その送水ポンプをフル回転しておればどの程度貯水地の水量、配水地の水位を増加させることができたか、これにより断水をどの程度防止することができたかの陳述が重要であるところ、陳述者たる西野隆則は本事件当時水道事業所職員として数日間の経験しか有せず後に得たところの資料や経験に基くものであるとして陳述しているのであること、昭和三九年度以降上水道設備の改善により断水事故が後を絶つたこと(これは疎乙第五四号証により認められる)を考慮すれば、同人の陳述に格別の証拠価値を認め難く、また本件疎明による限りでは、右趣旨の陳述は事件後四年の年月を経過し且つ本件執行停止申立後あらわれたものであるから、右乙第八八号証の一によつてたやすく安全運転の実行があつたものと認めることはできない。更に疎乙第八九号証、第一一八号証、第一一九号証を総合すれば、本件の断水がおきる数日前申立人が市役所分室前附近で第三水源地の送水ポンプの運転手をしていた山下伊吉に対し、茨木市に断水がおきたような場合送水ポンプの安全運転をやつてくれないかと頼んだことを一応認めることができる(これに反する疎甲第四四号証は一応信用できない)が、同時に右各資料によれば、山下は右依頼を断つたこと、山下よりその話を聞いた者達もこれに不賛成であつたことを一応認めることができる。そうすると、右事実からも安全運転の実行があつたものと認めることができない。他にこれを認めるに足る適切な疎明はない。

相手方はまた、申立人ら組合幹部は当日吹田市および箕面市の関係者に対し給水タンクを貸さないように依頼した旨主張するところ、吹田市に対しそのような依頼がなされたと認めるに足りる疎明はないが、疎乙第九三号証の一、二、第一〇二号証の一、二によれば、箕面市の水道部庶務課長小瀬戸広幸に対しそのような趣旨の依頼がなされた事実を一応認め得る(これと相反する疎甲第四五号証は一応信用できない)けれども、結果として箕面市は給水タンクの貸出をしたのであつて、本件の時間外給水の原因となつているのでないことは明らかである(申立人のこの点に関する情状については後に判断する)。更に相手方は、箕面市よりのタンク借入は作業員の怠業により遅延した旨主張し、疎乙第九一号証の一(堀顕陳述書)を援用するところ、疎甲第一五号証(堀顕証言調書)にはそのような記載がなく、むしろタンクを置いてあつた場所が山手の浄水場でタンクをのせる設備もなく雨ざらしのまま放置してあり、六人程の作業員では非常に手間がかかつたと述べていること、チエンブロツクでトラツクに積みこむのは簡単な作業とは認められず当該作業員のこれに対する陳述も全く聞かれていないこと等に照して、未だ故意の怠業ありと認めるに困難を覚えるのみならず、仮にその作業が相手方主張の如く一時間四〇分前後早くなつたからといつて、本件の時間外給水がなくて済んだとも認められない。

しかのみならず、安全運転の実行とかタンク借入の防害工作とかの点は、当時においては当局者の認識外のことであつたことその疎明資料自体に照して明らかであるところ、業務命令が適法であるためには、当該緊急事態が客観的に災害その他避けることができない事由によつて生じたものであると共に、業務命令を出した者の主観においてもそのような認識を有していたことを要するものと解すべきであるから、相手方主張のような諸点を以て直ちに本件業務命令を適法なものとすることはできない。むしろ当局者は当時本件の断水原因を慢然と一般家庭の水使用量の増加および安威川の表流水の汲上ポンプの故障と認識し、断水時には当然水道事業所職員に時間外勤務をさせることができると考えていたことを認めるに十分である。

そうだとすると、本件の業務命令は適法なものでなかつたと謂わなければならない。

(五)  次に相手方は、本件自主給水当時組合の意図していたものは三六協定の締結でなくして事前協議制の復活であり、事前協議制はそもそも違法である旨主張している。なる程組合が当時となえていたところの三六協定、時間外協定ないしは残業協定なるものが果して真正な意味での三六協定であつたかどうか疎明上疑なきを得ないところであるが、水道事業所職員や単純労務職員に関する限りでは、事前協議制も三六協定も実質上差異がないと共に、当局としてこれ以前に三六協定締結の申入をしたことのないこと、三六協定なら締結に応じるが事前協議制なら応じないというような回答をしたこともないことおよび当日三六協定締結の申入をする余裕がなかつたわけでもないことは前認定のとおりであり、そもそも三六協定なるものは「超過労働をさせることの禁止」という公法上の制限を使用者に対し解除することを直接の効果とするもので、労働者側としてこの協定の締結の申入をする義務を負うものではないのである。そうだとすると、仮に当時組合側が称していた三六協定なるものが実は事前協議制であつたとしても、本件の情状に直接影響するところがないと謂わざるを得ない。

(六)  更に相手方は、組合のいわゆる自主給水は地方公務員法違反の争議行為であり、申立人はこの違法な争議行為を企画指導し、その過程において暴行を行なつたものであるから、よりきびしい非難に値する旨主張しているので、右自主給水が争議行為となるや否やについて検討する。

本件の給水作業の態様が業務の通常の運営形態とみられないことは謂うまでもないが、争議行為たるがためには組合がその要求貫徹の目的を以て行なつた行為であることを要するところ、この点について首肯するに足りる説明と疎明がない。けだし、一般論として、組合がその名において給水を実施しその旨市民に宣伝したところで、直ちに市当局に対する市民の不満を挑発でき、要求貫徹に資し得るとはたやすく考え難いところであると共に、組合員一般が右のような認識を以て行動しこれを外部に表明していたと認めるに足りる疎明がない。もつとも前記のように、申立人が本件断水の発生する数日前山下伊吉に対し、断水がおきたような場合送水ポンプの安全運転をしてくれるよう依頼した事実および申立人が当日箕面市の関係者に対し給水タンクを貸さないよう依頼した事実はこれを認めることができ、この事実によれば、他の組合幹部は別とし少なくとも申立人は、時間外給水に及ばざるを得ない事態を惹起させ、超勤拒否斗争と相まつて当局に圧迫を加える意図を有していたものと推認できるところである。しかしながら、申立人の意思が直ちに組合の意思となるものではなく、申立人の右のような意図が他の組合員に通じていたと認めるに足りる疎明もない。しかも超勤拒否と給水作業の実施とは外形的には相反する行為であつて、超勤拒否斗争を行なつていながら一転して給水作業実施ときまつた場合、組合員一般としてはこれを争議行為と認識し難いものと観察するのが自然ではなかろうか。本件給水作業の際給水車に組合の小旗を掲げ宣伝車をもつて「組合が給水する」旨宣伝したことは前認定のとおりであるが、これは当局の業務命令に従つた給水作業でないことを強調する趣旨と認められ、また組合員の一部が給水に行こうとした係長に対し、「スト破りをやつた」と抗議したという疎明はあるが、この言葉は組合の統一行動を管理職員が妨げたという趣旨以上に出るものとは考えられない。むしろ組合としての全体的意思は午後五時以降の全員集会において決定されたと認められ、業務命令には従えないが業務命令を拒否した場合犠牲者の出ることを慮り、なお現在の断水状態を放置しておくこともできないとして(このような場合に業務命令を拒否させれば組合が大部分の市民の非難を受けるのが実情というべきであろう)、任意の給水作業の実施を決定したものであり、従つて、現実の作業にあたつた者達においても、業務命令に服従した作業ではないがなお且つ水道事業所の業務執行に資しているという認識を有し、そのため事業所より夕食が出ることを予期し、午後一〇時以後も作業させることを怒り、超過勤務手当の支給を期待した(疎甲第二一号証参照)と見るのが相当である。しかしのみならず、組合は一応中沢水道事業所所長より作業を認められたと認識し、中沢所長も、当初はともかく、爾後においては小矢田委員長に対する給水作業継続の要請にみられる如く、組合の作業を容認していたものと認められる。

そうだとすると、本件の組合の給水行為を目して争議行為と評価することはできないと言わねばならず、この点に関する相手方の主張は採用できない。

(七)  よつて最後に、本件懲戒免職処分の適法性自体について判断する。

相手方が処分事由として主張する事実に関する当裁判所の認定は前記のとおりであり、さきに判断した諸事情を考慮するも、申立人のなした行為は組合活動上の正当な行為と認めることはできず、地方公務員法第二九条第一項第三号に定める「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」に該当すると謂うべきである。

しかしながら、第一の西野係長に対する非行は極めて軽度なものであると共に、これは申立人ら組合員がいわゆる自主給水につき中沢水道事業所所長より了解を与えられたと信じたことによるもので、そのように信ずるについて一応の根拠があつたと認められること、第二の中野所長代理に対する非行も特に強度なものとは認められないと共に、申立人は、組合員が夜おそくまで作業に従事し、塩山の憤激ももつともであるのに、たやすく警察力を導入するものとして立腹したものと認められ、さして悪質な暴行とは考えられないこと、本件の自主給水は争議行為でなく、個々の非違行為は別として全体としては水道事業所に対する協力と評価することができ、組合員達は深夜の一一時頃まで働いて水道事業所の業務執行に資したこと、本件の業務命令は適法なものでなく、管理職員のみの給水では本件のような作業量をあげることができなかつたと認められること等の事情に照すと、非行は非行とし、相手方が申立人に対し直ちに最も重い懲戒処分である免職処分を以て臨んだことは処分の均衡を失する感あるを否めない。しかるところ、相手方は、申立人は過去においても組合運動に関連して暴力事犯を惹起している旨主張するのでこの点につき考える。相手方主張の(ハ)の事実に関する疎乙第二八号証、第一一四号証は疎甲第四二号証の一ないし三に照し、同じく(ホ)の事実に関する疎乙第二九号証、第一一三号証は疎甲第四三号証(差替分)に照し、いずれもたやすく信用し難く、他にこれを認めるに足る資料はないから、(ハ)(ホ)の事実は疎明がないことに帰する。次に相手方主張の(ロ)の事実は疎乙第二五号証、第二六号証、第一一七号証によつて一応これを認めることができ(これと相反する疎甲第二九号証の一、第四一号証は一応信用できない)、同じく相手方主張の(イ)の事実について疎乙第二四号証、(ニ)の事実について疎乙第二七号証が提出されており、格別の反証もないので、一応そのような事実があつたものと見受けられる(但し(イ)の事実の日時は昭和三三年一一月二六日と認められる)。しかしながら、それらはかなり古い事件もしくは格別の処分もなくして一応落着をみていた事件のように考えられると共に、本件各疎明資料提出の態様よりみても、本件の処分の頃処分権者(当時の市長坂井正男)により十全に調査されていた事件でないことを窺うに難くなく、本件処分に際し適切に情状として考慮された事実なりや否や疑なしとしない。また申立人が本件断水の発生する数日前送水ポンプの安全運転をそそのかしたことならびに箕面市関係者に対し給水タンクを貸さないよう依頼したことは前認定のとおりであり、これらは市民の奉仕者たるべき公務員として甚だ芳ばしくない行為であること謂うまでもないが、これらの行為は処分事由として挙げられていないことはもとより本件処分当時相手方の認識外の事実であつたことが明らかである。ほかに相手方が申立人に対し免職なる重大処分を以て臨んだことについて首肯するに足りる疎明がない。そして前記の如く、申立人が組合の副委員長および衛都連書記長として組合の指導的地位を有していたものであること、組合は衛都連傘下の組合の中でも団結が強固で比較的高水準の給与を認めさせるなど活発な行動を行ない、本件処分が行なわれた当時も夏季手当の増額支給その他の要求を掲げて交渉中であつたこと、相手方の当時の市長であつた坂井正男は選挙演説の頃の発言にみられるごとく本件の組合幹部に対して好感を抱かず(職員の綱紀が弛緩している場合綱紀の粛正をめざすことに異論のあろう筈はないが、職員に対する懲戒権は各人の非違の有無、分量に応じて公正に行使さるべきである)、市長就任後も組合との交渉ないし話合に熱意が乏しかつたこと(地方公共団体の管理運営に関する事項であつてもそれが職員の勤務条件に密接に関連する場合はその面から交渉の対象になることは当然であり、本件の組合の交渉項目中に勤務条件に関するものが含まれていたことはいうまでもない)の諸点を考え合せれば、申立人に対し免職というような重い処分をするに至つた主たる原因は、申立人が本件組合の幹部たる地位にあつたことないしは組合幹部として日常活発な組合運動をしていたことにあるのではないか、と一応認められるところである(本件の組合が過去たびたび違法な斗争を行なつた事実があるとしても、組合はもともと当局者と同等な立場において職員の勤務条件について交渉することを法により認められた団体なのであるから、違法な斗争を行なつた組合であるという理由だけで、当局者がその正当な交渉を拒んだり、その組合幹部に格別な不利益を与えたりすることは許されないところであり、組合の違法斗争一般から直ちに本件処分の妥当性を基礎づけることはできない)。そうだとすると、本件免職処分は職員団体のために正当な行為をしたことの故を以てなされた不利益取扱として地方公務員法第五六条に違反する違法があると一応見えるものと謂わなければならない。

よつて本件は、本案について理由がないと見える場合にあたらないこととなるから、相手方の主張は採用できない。

四  公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれの有無について

相手方は、申立人は暴力を以て市の給水業務を妨害したものであるから、職場に復帰させると職場秩序に困難を生じ行政事務が円滑を欠く等主張するが、給水業務を暴力で妨害した事実の有無、評価はもともと本案について理由がないと見えるかどうかの問題である(仮に申立人が本案訴訟に勝訴するとなれば、仮にその事実があつても当然に復職できるのである)と共に、申立人が常時その職場秩序に混乱を与える程粗暴な人物であるとも認め難い。もつとも判決確定前の職場復帰により人員配置に若干の支障があるとか相手方の威信に多小の影響があるとかのことは考え得ないではないが、これらは行政処分の執行停止なる法制度の存置に伴う当然の結果であると謂わなければならない。また相手方は、本件の執行停止が認められると公務員の争議行為、特に暴力行為的争議行為が裁判所によつて是認せられたかの感を関係公務員に与えると主張するが、そのような感を与えるかどうかは未必であると共に、そのような感を与えたとしてもそれは誤解なのであるから、それを以て本件の執行停止の裁判の結論を左右することのできないこと明白である。そもそも一般に地方公共団体の一職員が(たとえ組合指導者であるにせよ)免職処分の効力を停止されて職場に復帰したからとて公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれあるものとは容易に考え難いところであつて、本件もその例外ではないと認められる。よつてこの点に関する相手方の主張も採用することができない。

以上の理由により本件申立を認容し、申立費用は相手方の負担と定め、主文のとおり決定する。

(裁判官 今中道信 滝口功 大内敬夫)

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